詩と真実・・・

マーケット三国志

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2005年09月26日

「土地本位制」(いちば)

全国の基準地価が発表されました。
東京23区の住宅地・商業地とも15年ぶりに上昇。大阪や名古屋でも上昇地点が増え、底入れ感が広がったと報じられています。
基準地価は、全国の不動産鑑定士などが鉛筆を舐め(今ですとキーボードを叩きながら)想像と推理をめぐらせながら過去の事例などを参照して作成するので、実勢とのかい離が1年程度あることを踏まえると、実際はもっともっと上昇感があることでしょう。

それにしても15年。
ようやく長いトンネルを抜け出したようです。
もはや忘却の彼方ですが、日本の不動産が下げ始めたのは、NHKが5夜連続で「土地は下がる」を放送した平成3年10月以降と記憶しています。地上げだバブルだと踊った挙句の土地下落。
日経平均指数先物の導入と同様に「ルール」の変更は不良債権という暗闇をもたらしたように思えます。

出来事の本質を見極める際に「誰が得をしましたか」ということを良く考えます。
不動産の下落で儲かったのは、最初は外資系証券と不動産会社、そして管理会社でした。まさしく最近銀座の高級クラブに出入りする連中です。都内のオフィスビルや多くのゴルフ場が外資系の経営に変わっている姿をみると、「やはり」の感に苛まれて仕方がありません。

不動産を担保とした旧来の日本特有の錬金術的な資金導入方法がほぼ消滅した事を見ると、「なるほど、これが邪魔だったのか」とも考えてしまいます。
日本の金融機関が世界の頂点にあったとき、それを支えていたのは、土地の高価格でした。土地さえ下げれば、日本の金融機関も傷むと誰かが考えたとしても不思議ではありません。

それに、日本は中世以前から土地本位制度。
墾田永代私有法や荘園制度、あるいは武士の誕生など日本の歴史と土地所有制度は切り離せないほど密接な関係をもっているのです。狭い国土である以上、土地はどうしても必要なもの。そして財産そのものだったのです。
この概念の転換は、ひょっとすると日本人のDNAを変えてしまったのかも知れません。

一方、例えばアメリカはどうでしょう。
彼らは平気で都市を動かします。災害があったり、風紀が悪くなったりすると、突然別の場所に移ってしまうのです。
ハリケーンの襲来しているダラスやヒューストンなどではあちことに旧市街が存在しています。土地に執着し、土地こそ財産と考える典型的日本人の考えは理解できるはずがありません。
そこで価値観の転換を日本人に迫ったのでしょう。「君達のルールは一般的じゃない。グローバルスタンダードを教えてあげよう」と。

それでも日本経済は頑張りました。
企業業績が安定し、ようやく負担であった不動産も復活の兆し。
世界のマネーは、この変化を見抜いて毎週毎週1兆円近くも日本株を買っているのです。
気がついていないのか、あるいは気がつきたくないのが日本人。いまだ外国株と外国債券を買い越している始末です。

SQでもないのに36億株の出来高。史上最高です。
バブルの呪縛からは抜け出したのです。
最近の流行はイールドスプレッド。
長期金利と株式益回りの差ですが、来期業績を元にするとこれがマイナス4%程度。1%あたり指数の1000円に相当すると考えると、指数の17000円程度が妥当という意見も見られるようになりました。特にヘッジファンドなどはこの論法を使って日本株買いの根拠にしています。
証券界は我田引水の得意な場所ですが、勝てば官軍負ければ賊軍。Qレシオだって一時は時代の寵児だったのです。

時代は変わりました。歴史も変わります。
その大きな変化にいつ気がつくのか。
まだまだ道半ば。
土地の価格はその傍証でもあるのです。

・・・森ビルの本社には、10畳ほどの港区とマンハッタンの精密な模型が並んでいます。比べてみると、明らかに港区は低層。港区はますます高層化して有効利用する必要性があるようです。

2005年09月16日

「あとわずか・・・」(いちば)

単に心理的節目に過ぎないのですが指数の13000円はあと8円で遠のきました。
「産みの苦しみ」というと大げさですが「あとわずか・・・」というのが曲者。

その昔、圧倒的首位の野村証券に月間出来高競争で挑んだ日興證券。
月末にわずかの差で敗れたのは「マルツウ(日通)1000万株のクロス」。
あとわずか、それが限界であった昭和53年。
それから日興が野村に肉薄したことはありませんでした。
その後の相場は、日石(現新日石)の暴騰。別子(住友金属鉱山)の大相場を経て、日立、ビクターなどの国際優良株相場へと移行しました。
ここに「いつか来た道」があるように感じます。
今朝の「あとわずか・・・」は、早々にクリアできる水準なのでしょうが・・・。

ところで歴史というのは、その節目にいるとモノが見えなくなるといいます。
戦国時代に、織田信長が天下を取るとは誰も思わなかったでしょうし、ましてや豊臣秀吉や徳川家康など論外であったに違いありません。
しかし、事実はそうなりました。
まさに「祇園精舎の鐘の音」。

今、市場は大きな変換点を迎えていると、個人的には考えます。
企業業績、ポテンシャルエネルギーなどから見て思います。
航空会社がチャプター11を申請するような米国経済と連続増益でありながら息を潜めている日本経済と、どちらが買いたいかといえば、当然日本経済に軍配が挙がります。

専門家は賢げに指摘します。
「冷静な投資家が最後は勝つ」あるいは「そろそろお祭り騒ぎを卒業して市場を冷静に見つめるタイミング」などと。
しかもポートフォリオを小型株に組み替えるべきだとも。
正しいのかも知れません。
おそらく正しいのでしょう。
しかし・・・。
だから東京市場はまだまだ道半ばなのでしょう。
株式の本当の上昇を知らない連中がしたり顔で語っていますが、この15年間下落相場で育ってきた「証券マン」には、本当の上げ相場は理解できないのかも知れません。

「熱くなれるのが株屋」とも思います。
そんな考えは古いと一蹴されそうですが「醒めた専門家は要らない」とも思います
賢い人間はたくさんいますが、情熱は演技だけでは無理。
日本の投資家は、それを見抜けないほど愚かではない筈です。
「強気は愚かに聞こえ、弱気は賢く響く」という世界は、もう必要ありません。
スライダーもカーブも必要なし。
今こそ、直球ど真ん中で挑む局面と考えます。

2005年09月12日

「歴史の現実」(いちば)

先週末は歴史の現実に遭遇できました。
SQという特殊要因はありましたが、東京株式市場1部の売買高は30億3846万株、売買代金は31兆4068億円。どれも史上最高記録を更新しました。
金メダルです。バッケンレコードです。

時価総額は400兆円に乗せましたが、ピークからはまだまだ300兆円あまり少ない水準。
株価指数に至っては、ピークよりまだ7割下。エネルギーだけが先行したという格好です。

しかし、兜町に感動の声はあまり聞かれませんでした。
「醒めている」というイメージでしょうか。
ここが不思議です。思えば、「感動」ということを兜町が忘れてから長い時間が経ったように思えます。
兜町からは多くの人が去っていきましたから、致し方ないのかも知れません。
しかし、株式投資に求められているのは、単に「利益」ばかりではなく「感動」である筈。
司馬遼太郎氏も「日本人は泣かなくなった」と指摘してますが「泣く」どころか感動すら減ってしまったようです。
バブル時代に20億株も出来た頃は、伝票の整理だけで夜遅くまでかかっていましたが、週末の兜町はいつもと同じ静寂でした。
世が世なら野村証券のストップ高があっても不思議ではないのです。
その野村証券は「投資顧問業で富裕層へ進出」の報道。
以前は「語られたくない投資家」が大半だったのですが、極端に「語らない証券会社」が増えたことで、今は「語られたい投資家」が圧倒的に増加していることから考えると自然な流れかも知れません。
投資家も「無機質な情報の羅列」よりは、やはり「感動」を求め始めたのです。
ただ当面はラップのようでが・・・。

もうひとつ忘れられたもの。それは自信だと思います。
バブル崩壊以前の投資家には、自信にあふれていました。
海外からも「ジャパンアズナンバーワン」と賞賛されたこともあり、日本経済は客車ではなく機関車だと誰もが思っていました。
今はそれこそ貨車とでも考えられているのでしょうか。
企業業績は絶好調であるにもかかわらず・・・です。
外国人投資家は、継続した日本株買い。
売っているのは個人投資家と信託銀行という図式は、おかしいと思います。
バブル崩壊以降に失われた時価総額400兆円を取り戻すには、絶好の機会と思われるのですが・・・。
選挙というイベントも終わり、政界は「宴のあと」。
しかし、マーケットは「これから宴の準備」の段階でしょう。
歴史に遭遇していること。これは現実です。