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2012年09月30日
日本女子オープン
久しぶりにゴルフ中継を見ていました。昨日は木戸愛さんとフォン・シャンシャンが首位争いを演じ、木戸さんのスタイルとファッションセンスの高さとフォンさんの肝っ玉母さんのイメージと対照的で映像を見ていましたが、考えてみるとフォンさんは中国人であり、木戸さんは日本人なので当然、応援は木戸さんでしたが…本日は大きく崩れ圏外に去りましたね。17番でボギーにしたフォンさんは、18番の難しいパーをセーブし優勝し、日中間の険悪なムードも感じられず良識的なギャラリーのマナーにホッとした次第です。昨日の木戸さんのファッションは素敵だったですね。紺のハイソックスかな?白のショートパンツに濃い目の青のストライプのシャツが彼女を引き立てていました。今日は北田さんが一時トップに並びましたが後半は崩れ、流石に実力者なのでしょう。宮里美香さんが最後バーディーとして日本人としてトップの4位で、韓国のパクインビさんが18番でボギーとして2位でしたね。みんな大概は8歳や10歳程度からゴルフを始め世界舞台に躍り出るのですね。
NHKでは再放送だと思うのですが、昨日、これから周恩来のドキメンタリーをやっています。もう直ぐ始まるのでカタル君はその間にこの原稿をアップしてテレビを見ることにしますが、文化大革命を経て民の声をコントロールする難しさの背景を知ることが出来ます。共産党一党支配のコントロールの難しさを改めて知ることができ、今の日中関係を考える糧になりますね。指導者も常に追われている様子なのですね。もしこの日本オープンのようなゴルフ大会が中国で行われていたとすれば…きっと中止されていた環境か、日本人は出場も出来なかったのではないでしょうか?日本人がアマちゃんなのか…紳士的な民族なのか?分かりませんが…嘗てはオリンピックさえボイコットした例がありましたからね。経済的な貧困は人間の本性をむき出させるのかな?市場原理の世界では自己責任が当たり前ですが…日本村社会では少し違いますね。「惻隠の情」と言う観念の心が働きます。
SNSゲームで月に150万円も使う社会人がいると聞いて本当かな?と疑いたくなるような話ですが…ゲームを提供する会社がセーブするのが日本の社会ルールなのでしょうか? お金持ちが、車を毎月1台ずつ買っていたら、こんな社会問題になるでしょうか? あるいはマックを毎日、食べ続けたらどうでしょう。提供している会社の責任問題が問われるでしょうか? 買い物中毒の人に対し、クレジット会社はセーブしますかね? 市場原理と儒教の日本村社会の考え方は面白いものですね。社会が個人に干渉するのですね。国家間では互いに干渉はしませんね。しかしアメリカはイランや北朝鮮に対し干渉しています。故に覇権主義と言われ、世界から嫌われている面があるのかもしれません。
どうも最近はこの点ばかりに引っかかるのですね。なぜかな?
株式市場は本来、売り買いを通じて会社の適正価値を探り、妥当価格が市場で決められ評価されて、社会的な信用が反映され、有利な資金調達や人材獲得やビジネス環境に置いて有利に経営が出来るから株式を公開するので、証券マンは資金を集め市場の売買を増やすように努めてきたわけです。しかし日本村社会は株式の持ち合いをしてコーポレートガバナンスを疎かにしてきたので、現在の体たらくな状態が生まれているのでしょう。しかしJALは借金を棒引きにしてもらい、財務内容が大きく改善され再上場しました。全日空にとってみれば自分達は同じように設備投資負担をしてルールを守って競争をしてきたのに不公平な話ですね。色んな疑問が生まれますね。もう少し話を煮詰めて書きたいのですが時間切れです。間もなくテレビの時間です。この周恩来のドキメンタリーは非常に面白いのです。昨日、ゴルフ中継の後で偶然に目にして釘付けになりました。いよいよ文化大革命後の中国の姿が今日は描かれている筈ですね。株屋を離れても勉強は怠れませんね。何れ何か役立つこともあるでしょう。このような基礎知識が銘柄の選別眼にも何れ役立つのでしょう。
投稿者 kataru : 15:59
2012年09月17日
五倫五常
国民感情とは不思議なものですね。尖閣諸島の国有化で20億円と言いますが、海洋資源などを含め、経済的な価値はどれくらいになるのでしょう。一度、政府は資源の埋蔵量などの予測を踏まえ、正確な経済的な価値を示せばいいのです。竹島も同様です。勿論、北方領土を含め経済的な価値を予測して合理的に行動を起こすべきだろうと考えています。
日中関係を一時的な感情で損なう経済的な価値と、島の経済的な価値を比べてみる必要があると思います。悪戯に国民感情を煽る報道姿勢も、どうかと思います。面子か…。困ったプライド意識と言うか…軍備の増強を踏まえ、徴兵制度の復活なども合理的に計算する必要がありますね。意見対立の解消は、最後は武力衝突でしょう。やるなら徴兵制度の復活から自前の軍隊を持つことですね。軍事費のGDP1%とかの水準ではなく10%程度ぐらいまで持って行けば、ある程度の軍備は整えられるでしょう。中途半端な外交勝利などあり得ないですね。国民教育も必要です。
コウノトリの大気圏への再突入の映像を見ても、有人衛星へのデータを集めるためには、まだまだ資金が不足していますね。有人飛行は米国、ロシア、中国の3国だけです。自前で打ち上げる技術がなければ、戦争など、とても出来ませんね。第一歩の行動は最終予測までして、勝算があるなら初めて行動に移せるのですね。太平洋戦争のように途中で講和に持ち込むシナリオでは、とても、とても…現実的な対応ではありません。
目先の人気取りの為に、政治的なパフォーマンスをするなんて…前原さんにしても、野田さんにしても現実的な政治家ではないのでしょう。それとも中国漁船が来たら日米の軍隊が駆け付け拿捕するのでしょうか? 日米同盟の行使を米国は同意したのでしょうかね。最低限の行動の裏付けもなく行動を起こす事が問題ですね。東京都知事に煽られ面倒な問題を抱えたものですね。何処かで幕引きにしたいのでしょうが…。今の中国との関係を見れば、事前に国有化の根回しをしてないのでしょう。私が首相なら東京都知事の行動からみて国有化は仕方ないでしょうが、事前に中国側と相談して行動に移すべきでしたね。そうでなければ「戦略的互恵関係」など築けません。中国も首脳部が変わる難しい時期ですからね。この分では米国への事前の根回しも…してないのではないかな?それとも…今のかたちが事前のシナリオなのでしょうか?
物事の考え方は、このようにあらゆるパターンを想像しながら考えていきます。株の動きも同様ですね。FRBが9月のこの時期に緩和策を実施することは、大統領選の時期から見ても既成に事実だったのでしょう。僕は一度、米国株を下げてからの発動だと考えていましたが高値圏での発動は新展開を模索する動きなのでしょう。この新展開とは2006年からの金融危機の終了のシナリオなのでしょうね。これがメイン・シナリオです。既にGSEの前倒し処理を発表しており、FRBは雇用指数を前面に押し上げた意義は非常に大きいと思います。だって雇用は経済活動の最終コーナーですからね。つまり新興国の成長が一段落し、新興国から先進国へのお金の流れを演出しているのでしょう。こう考えるのが最も自然ですね。インフレにすれば一人あたりのGDPの低い新興国は苦労しますね。中国へのけん制でもあります。
それにしても中国人の考え方は日本人とは違うようですね。
その意味で昨日のネットサーフィンで有意義でした。江戸時代の学者でしょうが山鹿素行と言う人の存在を知ったことは…。あのユーチューブは解説されていた中朝事実は自分で読まなければなりませんが、要するに日本は天皇を中心に長い期間統一されてきたが、中国は歴代の王朝は度々変わっている。日本人は天皇を貴び君臣の儀を在していると説き、儒教の教えの「五倫五常」の精神に由来した考え方を基礎にしているのでしょう。この考え方の元は日本書紀にある「天壌無窮の神勅」に起因します。まぁ歴史的な裏付けが存在し、日本国民はひたすらこれを守り信じて頑張っている国民で、中国人のようにコロコロと心変わりする人種と違うという事でしょうかね?
人は生きていると様々な悩みを抱え判断に迷いますが、「子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼」と孔子の論語があるそうで、「知者は(正しい知識を備えているので)判断に迷う事はない。仁者は(正しい行いを心がけているので)悩む事はない。勇者は(正しい時にのみ力を用いるので)恐れる事はない。」という事だそうです。基礎的な原理原則を守っていれば、自ずと自然に生き方が見えてくるという事なのでしょう。五倫五常と言う儒教の考え方は、人として常に踏み守るべき道徳のことで「五倫」は基本的な人間関係を規律する五つの徳目で、父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信。「五常」は仁・義・礼・智・信の五つで人が常に守る行動の規範ですね。剣道の袴には二本のひだがあり、この教えを伝えたものだそうだとか…。
それにしても…、戦後教育を受けたカタル君は、このような基本的な道徳概念がなかったのですね。この年になっていろいろ考えるものです。ある意味で戦前の教育システムは、いろんな点で優れていたのかもしれません。日本村論理と市場原理主義の考え方はいろんな点で対立しますが…楽天の英語公用語に反発する自分が心に存在し、一方で日本村社会にも矛盾を感じているわけで複雑な心境ですね。だから空売りに嫌悪感を抱き悩んでいたのでしょうが…このジレンマは困った心境ですね。でもようやく…しばらくは良い投資環境が続きそうです。無期限の緩和処置は期待インフレ率を大きく高める効果がありますね。だって結果が出るまで続くのですからね。裁量的な処置の日銀の緩和策ではなく、公正なルールの市場原理に基づく遠大なスケールの実験は続くのです。
投稿者 kataru : 11:19
2012年09月16日
市場原理と村論理
我々国民には「矜持」(きょうじ)と言う気持ちが薄れたのでしょうか?
一般的な道徳観念が薄れ始め、ただやりたいことをやって過ごす生き方が幸せな生き方かどうか…いやなこと、面倒なことを進んでやる人間の方が、素敵な人としての生き方を歩めるのではないでしょうか? 綺麗ごとの一般論ですが…。
予想されていたことですが…中国と事を構えるとすれば、それなりの覚悟が必要です。中国船の拿捕を強行した前原さんにしても、尖閣諸島を国有化した野田さんにしても対応策を用意しないで行動していたのでしょうか? 米国は尖閣も日米同盟の範囲内の話と位置づけはしましたが…おそらく、この話の言質を取って、尖閣を国有化に踏み切ったのは選挙が近いからでしょう。原発問題もそうですね。ハハハ…あまりの程度の低さに笑える話しです。中国は経済成長が鈍り内政に対する不満を、こうやって国民感情の焦点を変化させる事でガス抜きをしているのでしょう。意識的に国民の関心を領土問題へふっているのでしょうね。中国の海洋監視船の6隻の領海侵犯は日米同盟の強さを試しているのでしょう。必然的に思いつくには尖閣湾領域で日米演習をすることです。しかしこれじゃ…。太平洋戦争に突入した日本も、嘗てはそうでしたね。政府は先日、国有化を実行して問題の鎮静化を図ろうとしたのでしょうが…。善後策は存在するのでしょうか?
「戦略的互恵関係」を言う都合のいい言葉を使い、あいまいな形で目先を乗り越えようとする生き方を、よしとしないのが武士道の世界ですね。死に場所を探し、矜持を重んじる生き方が武士の世界では尊ばれました。矜持と言う言葉はあまり用いられませんが、アイデンティティと言うか、自分の誇りと言うか…生き方の概念ですね。そのプライドを守る為に生死を賭けるような心意気を言うのでしょうが…、近年、日本はこのようなプライドで生きる人間を否定する環境にあります。昔のやくざの世界、任侠と呼ばれるやくざものの映画は好まれなくなったのでしょうか? 花村満月の「ワルツ」などは良かったですね。他にも任侠ものがあったのですが、直ぐに思い出せないものですね。でも多くの主人公は死ぬのです。「義」を守る為に死んでいくのですね。
日本は儒教の国で五倫五常の教えが尊ばれます。「仁、義、礼、智、信」の心を持って生活せよという事なのでしょう。新田次郎のご子息の藤原正彦先生の「惻隠の情」と言う、相手の心情を思い情けをかける仁の精神を伝えようとして話題になった「国家の品位」と言う本が売れましたね。現代社会の「いじめ」と惻隠の情は、自己の欲求である「利」に相対する義の「義利の辨」のような関係かな?
市場原理主義の「利」と言う概念と相対する位置にいる「義」や「仁」の考え方があるのが、任侠の世界ですね。市場原理の世界では空売りは正しい行動ですが、任侠の世界では空売りは許せない行動になりますね。難しいものです。この原稿を書くにあたり、ネットサーフィンをしました。その結果、山鹿素行という人が近代日本の思想的な源のようにも感じましたね。彼の説く「中朝事実」は面白い考え方です。日本書紀の「天壌無窮の神勅」などへも辿り着きました。カタル君の謎の一つである、自分の心情の移り変わりの原点を模索する旅のような気がしています。「義利の辨」は「日本村論理」と「市場原理主義」のような構図ですね。
米国が9.11テロへの反撃を掲げ戦争を起こした大義は、市場原理を守る為だったのでしょう。テロなどの行為を容認すればフェアなルールが歪められ、競争原理が歪められますね。柔道やボクシングに重量別の制限があるのは、公平なルールの下でフェアな戦いが要求されているから、体重別のルールが確立されたのでしょう。しかし相撲は無差別級の世界ですね。日本はある意味で曖昧なのかもしれませんね。裁量決済が横行するのは島国で生活する秩序を守る共存ルールなのでしょう。だから時に不公平な判決が良くありますね。そこで江戸町奉行の大岡越前の裁量決済が喝采を浴びるのでしょうね。裁量決済などと言ういい加減な感覚は島国だからでしょうか?
米国ではSECがリバースマージャーと言う財務手法に警告を発しています。昔の日本の市場でも東証は裏口上場をさせない為に、買収を認めないケースが多々ありましたね。それくらいに上場審査は厳しかったのです。リバースマージャーとは、未上場企業が上場するシェル企業と合併することで資本市場へのアクセスを得ることを言います。ところがどうでしょう。東証は大証へTOBをかけて上場をそのまま維持させるという…規律を犯していますね。米国は市場原理を守る為にたいへんな犠牲を払い、競争原理を守ったのですね。日本は依然として裁量決済の中で生きているようです。昨日の日経新聞を見て驚きました。野村証券がまた無担保社債でお金を集めるようです。およそ570億円を、1%を割れる金利で募集するのです。まぁ、自転車操業の極みですね。2009年の200億円の償還金を乗り換え、更に目先の運転資金をプラスして個人を騙してお金を集めるのですね。まぁ、基本的には6%とか7%程度の金利なら僕は文句は言いません。野村証券の内容からしてジャンク債の部類でしょう。ところが…この金利はAAAの水準ですね。呆れるご都合主義ですね。
乗り換えの200億円は互恵的利他主義の絡みでしょう。受ける方も野村の力が必要で、何らかの見返りが期待されるのでしょう。ソフトバンクは2009年に5.1%の金利の無担保社債を発行したのですね。ようやく最近、低利での資金調達が出来るようになったのです。今の野村は2004年から2011年まで営業キャッシュフローは赤字を続けていた企業ですね。自転車操業を続け、ようやく今年は黒字化した企業ですよ。東証や野村証券の態度を見ると…市場原理が通用しない国だという現実が良く分かります。だから金融論理が歪むのです。三菱UFJが383円だなんて現実が起こる訳ですね。僕の感覚では500円台が最低限の市場価格です。一株純資産が687円で一株利益が51円ですから通常の経済状態なら687+510=1197円が正当な評価の株価でしょう。昔はこんな水準だったのです。だって解散価値である純資産価格に、これから10年間は企業が存続すると考えれば、10年分の利益をプラスするのは合理的な考え方ですね。仮に外部流失の配当金12円の10年分を引いたとしても、株価は1077円ですね。つまり三菱UFJの正当な株価評価は4ケタ以上だと言うことです。何故、自社株買いを実施しないのでしょう。それは自己資本比率規制の問題があるからでしょう。ただ1%以下の国債投資をするならやはり買うべきでしょうね。
今日はずいぶん寄り道をしてしまいました。
人間の集中力と言うのは2時間程度が限度なのでしょう。そろそろその時間を大幅に超えはじめ、書くのがつらくなってきました。ネットサーフィンをして原稿を書いているとあっという間に3時間や4時間になります。山鹿素行か…浪人の子として生まれたが為に貧乏人の僻みでしょうかね。赤穂浪士の忠臣蔵の世界を生んだり、吉田松陰から明治維新の偉人を生んだり、乃木大将の殉死を正当化する考え方ですね。乃木大将は明治天皇の崩御を受け殉死を決意して、迪宮殿下(昭和天皇)を前に山鹿素行の「中朝事実」を伝授したと言います。市場原理主義と日本村論理か…。
投稿者 kataru : 10:19
2012年09月09日
奥ゆかしさ
大塚笑子と言う人が朝の読書会運動を展開していると言います。
彼女の活動をラジオで知って山本周五郎の話をしていたので読んでみようと思ったのが切っ掛けですが…なかなか良いですね。奉公先の山本周五郎と言う店主の名をペンネームにしたらしいのですが、直木賞を辞退したり…きっと面白い人だったのでしょう。これまでに「さぶ」を皮切りに「樅の木は残った」を読み、そうして、「虚空遍歴」を今、読み終わりました。中藤冲也の自分の境地を追い求める一途な姿勢が…何とも物悲しく…心に響くものがありました。浄瑠璃ってどんなものか? 僕自身は本物を聴いたことがありません。時々NHKなどで人形浄瑠璃を流していましたが…インターネットでもありましたね。端唄って…どんなものなのでしょう。昨日は久しぶりにインターネットサーフィンをした次第です。このなかで良かったのが桃山晴衣と言う人が謳った「五木の子守唄」が良かったですね。此方です。都々逸と言うものもなかなか良いですね。藤本二三吉など…昔は娯楽の形態も違ったのですね。ネットなどもなくテレビもない時代でしたからね。芝居や芸事が江戸時代は盛んだったのでしょう。
大御所さん、むかしカタルの今日の市況によく登場した人ですが…サムライものの小説が好きで彼は良く江戸時代に生まれたかったと口癖のように言っていました。画像は不鮮明ですが、この映像はその時代を忍ばせる端唄ですね。「梅は咲いたか」 風流な感じが伝わってきます。
芸術の世界は奥が深いのでしょう。筋立てが分からずに…冲也とおけいの関係や小説の終わり方は不満が残るものでした。きっと山本周五郎と言う人生観なのでしょう。昨日のテレビでも高倉健が山本周五郎の本を大切にしていましたね。そう言えば、昨日、偶然に韓国青年ユニオンの事を書きましたが、NHKでも特集番組を組んでいました。韓国も市場原理の広がりが消化できないでいるのですね。日本同様に人間をロボットのように追い込む姿が放映されていました。ただ労働運動だけにスポットを充てており現実の背景を語ってないから、かなり片手落ちの取材です。僕がプロデュースをするなら、市場原理の姿とイノベーションに光を充てて、違った角度から番組を創るでしょう。それにしても若者の半分が正規就職が出来ずに、時給が300円台とは恐れ入りました。僕が新聞屋でもらった最初の給料が12万円ですから…あれは確か時間給に直すと500円台だったと思います。最終的には30万円なので1200円程度になったのでしょうが…日本も同様の現象が広がっていることは事実なのでしょう。
さて与太はこの程度にして、今日はこのままの流れで…芸術に関して、付加価値と言う観点からみると、冲也は限りない崇高な高まりを求め続けたのでしょう。よく芸術家は気ちがいになるか自殺するかの選択をしますね。追い詰められ自分を追い詰めていくのでしょう。自分の求める最高の極みを…味わうために苦労をするわけですね。この付加価値は多くの人に感動を与えるものなのでしょう。先日、フェルメールを観てきましたが僕には分かりませんでしたね。絵を見て動けなくなるほどの感動も湧きませんでした。同じものを見てもきっと自分の気持ちが違う時に味わえば…また違った気持になるのでしょうが…多くの人の心を揺り動かすものは小説でも、絵でも、歌でも…素晴らしいものです。以前も紹介したとは思うのですが…久しぶりに中村中の友達の詩を聴いてみました。自然と涙が出て来るのです。素敵な詩ですね。インターネットにはバージョンが二つありました。僕は後者の方が好きかな? 中村 中か…。やはり特別な才能があるのでしょうが…他の作品は駄目でした。この曲だけが…何故か、心に響きます。このせつなさが…たまらない。
♪触れるまでもなく先の事が 見えてしまうなんて
そんなつまらない恋を ずいぶん続けて来たね
胸の痛み 直さないで 別の傷で隠すけど
簡単にばれてしまう どこからか流れてしまう
手を繋ぐくらいで良い 並んで歩くくらいでいい
それすら危ういから 大切な人は友達くらいでいい
寄り掛からなけりゃ そばに居れたの?
気にしていなければ 離れたけれど 今更…無理だと気付く
笑われて 馬鹿にされて それでも憎めないなんて
自分だけを責めるなんて いつまでも情けないね
手を繋ぐぐらいで良い 並んで歩くくらいでいい
それすら危ういから 大切な人が見えていれば上出来
忘れた頃に もう一度逢えたら 仲良くしてね
手を繋ぐぐらいで良い 並んで歩くくらいでいい
それすら危ういから 大切な人が見えていれば上出来
手を繋ぐぐらいで良い 並んで歩くくらいでいい
それすら危ういから 大切な人は友達くらいでいい
友達くらいが丁度 いい
投稿者 kataru : 12:06
2012年09月02日
日本村
「清貧思想」と言うのは決して悪くはなく、むしろバブル期などにおいては、戒めの言葉として利用されてしかるべきでしょう。しかし現在は誰が考えても沈んでいる時代です。清貧思想が行き過ぎて弊害が目立っているのに、尚、生活を犠牲にしてまで清く正しい行動を模索するのかどうか…一例を掲げれば、戦後、配給だけで生きようとして亡くなった人がいるそうですね。多くの人は生きる為に闇市を利用しましたが…自分の思想を貫き餓死したというのです。NHKの梅ちゃん先生のドラマで採り上げられましたが、実際に東京地裁の山口良忠という裁判官が、配給だけで生活をして亡くなったそうです。当時、朝日新聞に報じられ美談化されたとか…。
原発問題も似たような事例でしょう。私は原発開発を止めるべきではないと考えていますが、仮に100%廃止だとしても移行期間を設けるのが現実的な考え方ですね。最近のニュースを見ると細かな事がニュースとなって取り上げられる事例が増えたように感じます。今日だって読売新聞に人間が、酔って蹴ったので車が壊れ逮捕されたとか…。社会的に地位が高いとされているメディアの人間だから問題視されているのでしょうか? 昔なら逮捕などせずに、一晩、牢屋に泊めて、後日、示談処理してそれで終わりでしょう。それを逮捕したために人間の一生を棒にふらせてしまったのです。
私の感覚がルーズなのかもしれませんが、許容範囲がありますね。車のハンドルにアソビがあるように…。何かマニュアル社会化されドンドン荒廃して行くような気もしています。一つの方向性に傾斜しすぎ、全てにユトリがなくなっているように感じますね。テレビのCMは健康食品が多い事、この国は何処かおかしくなっています。
昔の日本は時代に合わせた規制を用いたものです。丁度、パチンコ産業が広がり過ぎないようにルールを規制したり、緩和したりして手綱をコントロールするやり方が日本村論理を維持する裁量主義だったのです。ところが僕のようにライブドアとオリンパスの処置を問題に批判する人間が増えてきて、何時しか裁量の権限がなくなってきました。大岡裁きは日本村社会の良さだったのでしょう。UFJ問題辺り…からかな?不良債権の認識問題は恣意的で難しい判断ですからね。見る人の立場により大きく変わりますね。結果論は誰にでも言えますが、現在進行形の不良債権処理は難しいのですね。
結局、小泉・竹中改革(市場原理)は、日本村社会論理に敗退しますが…、その後のパナソニックやソニーまでもの荒廃ぶりを見ると、どちらの選択が正しかったのか?分かりませんね。主義主張を貫くのは大変なことです。米国は市場原理を歪めないように、公正な競争精神を歪めないように教育されています。故にこの時期でも論理的な経済価値が維持されているのでしょう。日本はまやかしの市場経済を取り入れ、実態は江戸時代から続く村論理を優先してきました。株式持ち合い構造により、市場原理を利用し資金を円滑に回してきましたが、株式先物を導入され日本村構造を壊された印象ですね。プラザ合意の意味は、戦後の米国保護と言う傘から、追い出されたわけですね。
まやかしの市場原理しか取り組んでこなかった日本は、グローバル時代の本当の競争に敗れているわけです。根底は教育でしょう。何故、この環境下で米国株だけが正常な評価基準で客観的な評価を維持しているのでしょう。どう考えても教育問題でしょう。市場原理の根底は市場にあります。自由な市場は公正なルールで維持されるのです。それを信じる国民は小さい時から市場原理を、公正な競争精神を叩き込まれるのでしょう。親に大学の教育費を出してもらう国と、自分でなんとかする風土の国とでは生きる真剣さが違うのでしょう。だから米国はテロに立ち上がったのですね。公正な競争精神を歪める卑劣な行為に対し、経済的に採算が合わない非効率な軍事行動をとったのです。その根底にあるのは市場原理を守るためですね。もしテロを黙認すれば力の競争を許すことになります。腕力が強い人間が勝ち組になりますね。世界のルールは誰もが参加でき、公正なルールの中で戦うというものです。米国がやくざ絡みの資金の移動に厳格なのも理解できます。不正な競争で得た資金だからです。
終身雇用や年功序列は儒教の島国で生きていく上での智恵だったのでしょう。野田政権は間違った選択はしていませんが、官僚色の強い政策ですね。この官僚組織はこの仕組みの根底に生きている組織です。だから組織力で小泉・竹中路線が潰されたのだろうと考えています。当然、新日鉄の三村さんの選択も日本村論理の選択だったのです。2006年からの日本の選択を見ていると、実際に株価が低迷している現実を理解できますね。一方、市場原理を選択して世界に広げている米国は金融危機発端の国で、一番痛んでいる筈の状態なのに、その環境下で市場原理の原則を維持しているのですね。
JNJ(ジョンソン・アンド・ジョンソン)にしても景気敏感株のGEにしてもPERは21倍、17倍なのです。つまり5%の価格水準を維持しているわけですね。ところが日本株はPER10倍水準以下です。10%の理論価格さえも維持できない市場評価なのです。歪んだルールの選択を市場が証明しているのかもしれません。
投稿者 kataru : 10:44