市場原理と村論理(2012年09月16日)
我々国民には「矜持」(きょうじ)と言う気持ちが薄れたのでしょうか?
一般的な道徳観念が薄れ始め、ただやりたいことをやって過ごす生き方が幸せな生き方かどうか…いやなこと、面倒なことを進んでやる人間の方が、素敵な人としての生き方を歩めるのではないでしょうか? 綺麗ごとの一般論ですが…。
予想されていたことですが…中国と事を構えるとすれば、それなりの覚悟が必要です。中国船の拿捕を強行した前原さんにしても、尖閣諸島を国有化した野田さんにしても対応策を用意しないで行動していたのでしょうか? 米国は尖閣も日米同盟の範囲内の話と位置づけはしましたが…おそらく、この話の言質を取って、尖閣を国有化に踏み切ったのは選挙が近いからでしょう。原発問題もそうですね。ハハハ…あまりの程度の低さに笑える話しです。中国は経済成長が鈍り内政に対する不満を、こうやって国民感情の焦点を変化させる事でガス抜きをしているのでしょう。意識的に国民の関心を領土問題へふっているのでしょうね。中国の海洋監視船の6隻の領海侵犯は日米同盟の強さを試しているのでしょう。必然的に思いつくには尖閣湾領域で日米演習をすることです。しかしこれじゃ…。太平洋戦争に突入した日本も、嘗てはそうでしたね。政府は先日、国有化を実行して問題の鎮静化を図ろうとしたのでしょうが…。善後策は存在するのでしょうか?
「戦略的互恵関係」を言う都合のいい言葉を使い、あいまいな形で目先を乗り越えようとする生き方を、よしとしないのが武士道の世界ですね。死に場所を探し、矜持を重んじる生き方が武士の世界では尊ばれました。矜持と言う言葉はあまり用いられませんが、アイデンティティと言うか、自分の誇りと言うか…生き方の概念ですね。そのプライドを守る為に生死を賭けるような心意気を言うのでしょうが…、近年、日本はこのようなプライドで生きる人間を否定する環境にあります。昔のやくざの世界、任侠と呼ばれるやくざものの映画は好まれなくなったのでしょうか? 花村満月の「ワルツ」などは良かったですね。他にも任侠ものがあったのですが、直ぐに思い出せないものですね。でも多くの主人公は死ぬのです。「義」を守る為に死んでいくのですね。
日本は儒教の国で五倫五常の教えが尊ばれます。「仁、義、礼、智、信」の心を持って生活せよという事なのでしょう。新田次郎のご子息の藤原正彦先生の「惻隠の情」と言う、相手の心情を思い情けをかける仁の精神を伝えようとして話題になった「国家の品位」と言う本が売れましたね。現代社会の「いじめ」と惻隠の情は、自己の欲求である「利」に相対する義の「義利の辨」のような関係かな?
市場原理主義の「利」と言う概念と相対する位置にいる「義」や「仁」の考え方があるのが、任侠の世界ですね。市場原理の世界では空売りは正しい行動ですが、任侠の世界では空売りは許せない行動になりますね。難しいものです。この原稿を書くにあたり、ネットサーフィンをしました。その結果、山鹿素行という人が近代日本の思想的な源のようにも感じましたね。彼の説く「中朝事実」は面白い考え方です。日本書紀の「天壌無窮の神勅」などへも辿り着きました。カタル君の謎の一つである、自分の心情の移り変わりの原点を模索する旅のような気がしています。「義利の辨」は「日本村論理」と「市場原理主義」のような構図ですね。
米国が9.11テロへの反撃を掲げ戦争を起こした大義は、市場原理を守る為だったのでしょう。テロなどの行為を容認すればフェアなルールが歪められ、競争原理が歪められますね。柔道やボクシングに重量別の制限があるのは、公平なルールの下でフェアな戦いが要求されているから、体重別のルールが確立されたのでしょう。しかし相撲は無差別級の世界ですね。日本はある意味で曖昧なのかもしれませんね。裁量決済が横行するのは島国で生活する秩序を守る共存ルールなのでしょう。だから時に不公平な判決が良くありますね。そこで江戸町奉行の大岡越前の裁量決済が喝采を浴びるのでしょうね。裁量決済などと言ういい加減な感覚は島国だからでしょうか?
米国ではSECがリバースマージャーと言う財務手法に警告を発しています。昔の日本の市場でも東証は裏口上場をさせない為に、買収を認めないケースが多々ありましたね。それくらいに上場審査は厳しかったのです。リバースマージャーとは、未上場企業が上場するシェル企業と合併することで資本市場へのアクセスを得ることを言います。ところがどうでしょう。東証は大証へTOBをかけて上場をそのまま維持させるという…規律を犯していますね。米国は市場原理を守る為にたいへんな犠牲を払い、競争原理を守ったのですね。日本は依然として裁量決済の中で生きているようです。昨日の日経新聞を見て驚きました。野村証券がまた無担保社債でお金を集めるようです。およそ570億円を、1%を割れる金利で募集するのです。まぁ、自転車操業の極みですね。2009年の200億円の償還金を乗り換え、更に目先の運転資金をプラスして個人を騙してお金を集めるのですね。まぁ、基本的には6%とか7%程度の金利なら僕は文句は言いません。野村証券の内容からしてジャンク債の部類でしょう。ところが…この金利はAAAの水準ですね。呆れるご都合主義ですね。
乗り換えの200億円は互恵的利他主義の絡みでしょう。受ける方も野村の力が必要で、何らかの見返りが期待されるのでしょう。ソフトバンクは2009年に5.1%の金利の無担保社債を発行したのですね。ようやく最近、低利での資金調達が出来るようになったのです。今の野村は2004年から2011年まで営業キャッシュフローは赤字を続けていた企業ですね。自転車操業を続け、ようやく今年は黒字化した企業ですよ。東証や野村証券の態度を見ると…市場原理が通用しない国だという現実が良く分かります。だから金融論理が歪むのです。三菱UFJが383円だなんて現実が起こる訳ですね。僕の感覚では500円台が最低限の市場価格です。一株純資産が687円で一株利益が51円ですから通常の経済状態なら687+510=1197円が正当な評価の株価でしょう。昔はこんな水準だったのです。だって解散価値である純資産価格に、これから10年間は企業が存続すると考えれば、10年分の利益をプラスするのは合理的な考え方ですね。仮に外部流失の配当金12円の10年分を引いたとしても、株価は1077円ですね。つまり三菱UFJの正当な株価評価は4ケタ以上だと言うことです。何故、自社株買いを実施しないのでしょう。それは自己資本比率規制の問題があるからでしょう。ただ1%以下の国債投資をするならやはり買うべきでしょうね。
今日はずいぶん寄り道をしてしまいました。
人間の集中力と言うのは2時間程度が限度なのでしょう。そろそろその時間を大幅に超えはじめ、書くのがつらくなってきました。ネットサーフィンをして原稿を書いているとあっという間に3時間や4時間になります。山鹿素行か…浪人の子として生まれたが為に貧乏人の僻みでしょうかね。赤穂浪士の忠臣蔵の世界を生んだり、吉田松陰から明治維新の偉人を生んだり、乃木大将の殉死を正当化する考え方ですね。乃木大将は明治天皇の崩御を受け殉死を決意して、迪宮殿下(昭和天皇)を前に山鹿素行の「中朝事実」を伝授したと言います。市場原理主義と日本村論理か…。