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奥ゆかしさ(2012年09月09日)
大塚笑子と言う人が朝の読書会運動を展開していると言います。
彼女の活動をラジオで知って山本周五郎の話をしていたので読んでみようと思ったのが切っ掛けですが…なかなか良いですね。奉公先の山本周五郎と言う店主の名をペンネームにしたらしいのですが、直木賞を辞退したり…きっと面白い人だったのでしょう。これまでに「さぶ」を皮切りに「樅の木は残った」を読み、そうして、「虚空遍歴」を今、読み終わりました。中藤冲也の自分の境地を追い求める一途な姿勢が…何とも物悲しく…心に響くものがありました。浄瑠璃ってどんなものか? 僕自身は本物を聴いたことがありません。時々NHKなどで人形浄瑠璃を流していましたが…インターネットでもありましたね。端唄って…どんなものなのでしょう。昨日は久しぶりにインターネットサーフィンをした次第です。このなかで良かったのが桃山晴衣と言う人が謳った「五木の子守唄」が良かったですね。此方です。都々逸と言うものもなかなか良いですね。藤本二三吉など…昔は娯楽の形態も違ったのですね。ネットなどもなくテレビもない時代でしたからね。芝居や芸事が江戸時代は盛んだったのでしょう。
大御所さん、むかしカタルの今日の市況によく登場した人ですが…サムライものの小説が好きで彼は良く江戸時代に生まれたかったと口癖のように言っていました。画像は不鮮明ですが、この映像はその時代を忍ばせる端唄ですね。「梅は咲いたか」 風流な感じが伝わってきます。
芸術の世界は奥が深いのでしょう。筋立てが分からずに…冲也とおけいの関係や小説の終わり方は不満が残るものでした。きっと山本周五郎と言う人生観なのでしょう。昨日のテレビでも高倉健が山本周五郎の本を大切にしていましたね。そう言えば、昨日、偶然に韓国青年ユニオンの事を書きましたが、NHKでも特集番組を組んでいました。韓国も市場原理の広がりが消化できないでいるのですね。日本同様に人間をロボットのように追い込む姿が放映されていました。ただ労働運動だけにスポットを充てており現実の背景を語ってないから、かなり片手落ちの取材です。僕がプロデュースをするなら、市場原理の姿とイノベーションに光を充てて、違った角度から番組を創るでしょう。それにしても若者の半分が正規就職が出来ずに、時給が300円台とは恐れ入りました。僕が新聞屋でもらった最初の給料が12万円ですから…あれは確か時間給に直すと500円台だったと思います。最終的には30万円なので1200円程度になったのでしょうが…日本も同様の現象が広がっていることは事実なのでしょう。
さて与太はこの程度にして、今日はこのままの流れで…芸術に関して、付加価値と言う観点からみると、冲也は限りない崇高な高まりを求め続けたのでしょう。よく芸術家は気ちがいになるか自殺するかの選択をしますね。追い詰められ自分を追い詰めていくのでしょう。自分の求める最高の極みを…味わうために苦労をするわけですね。この付加価値は多くの人に感動を与えるものなのでしょう。先日、フェルメールを観てきましたが僕には分かりませんでしたね。絵を見て動けなくなるほどの感動も湧きませんでした。同じものを見てもきっと自分の気持ちが違う時に味わえば…また違った気持になるのでしょうが…多くの人の心を揺り動かすものは小説でも、絵でも、歌でも…素晴らしいものです。以前も紹介したとは思うのですが…久しぶりに中村中の友達の詩を聴いてみました。自然と涙が出て来るのです。素敵な詩ですね。インターネットにはバージョンが二つありました。僕は後者の方が好きかな? 中村 中か…。やはり特別な才能があるのでしょうが…他の作品は駄目でした。この曲だけが…何故か、心に響きます。このせつなさが…たまらない。
♪触れるまでもなく先の事が 見えてしまうなんて
そんなつまらない恋を ずいぶん続けて来たね
胸の痛み 直さないで 別の傷で隠すけど
簡単にばれてしまう どこからか流れてしまう
手を繋ぐくらいで良い 並んで歩くくらいでいい
それすら危ういから 大切な人は友達くらいでいい
寄り掛からなけりゃ そばに居れたの?
気にしていなければ 離れたけれど 今更…無理だと気付く
笑われて 馬鹿にされて それでも憎めないなんて
自分だけを責めるなんて いつまでも情けないね
手を繋ぐぐらいで良い 並んで歩くくらいでいい
それすら危ういから 大切な人が見えていれば上出来
忘れた頃に もう一度逢えたら 仲良くしてね
手を繋ぐぐらいで良い 並んで歩くくらいでいい
それすら危ういから 大切な人が見えていれば上出来
手を繋ぐぐらいで良い 並んで歩くくらいでいい
それすら危ういから 大切な人は友達くらいでいい
友達くらいが丁度 いい