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ベースマネーと株価4(2012年11月10日)

1週間ぶりは時間が非常に長く感じられますね。さて「ベースマネーと株価3」が最後の検証で、時代背景は1985年~1990年代初期の過剰供給から急激な引き締めでしたね。金融政策は、よく効く時と効果が薄い時があります。それは体力ですね。人間の身体と同じで基礎体力があれば、僅かな薬でも効果を発揮し、病気から簡単に立ち直ります。今の日本は、非常に長い時間をかけて病床に臥せっていますから、多少の薬も効果がありません。よくも此処まで…放っておいたものです。基本的に中国共産党は地方組織で実績を積み上げないと上に行けませんが…、日本は二世議員など政治手腕の実績がなくても、国会議員になりますね。だから実力のない大臣などが、誕生する背景になっています。僕の郷里に関係ある田中直紀防衛大臣の失言などは、そのいい事例ですね。

1995年の沖縄兵による少女暴行事件は痛々しいもので、問題をこじれさせたのが日米間で取り交わされた「日米地位協定」と言う不平等条約の存在ですね。そもそも本来、条約の狙いは安全保障上のもので、たぶん軍事上の機密保持が目的だったのでしょう。しかしこの条約を楯にとった1995年の米国の行動が、沖縄県民の感情を損ねたことは間違いありませんね。米軍の指導部も情報力を欠いているのか…資質が問われます。まぁ、長い低迷相場の背景には、いろんな問題があるのですね。株価推移は時代背景をよく映していることが、IRNETを読むことで、お分かり頂けると思います。

日本は大蔵省の適正な資金配分のおかげで、躍進的な経済成長を続けてきました。この背景には米国が東西冷戦の最中にあり、日本を庇護しなくてはならない時代背景があったのです。それにしても…当時の大蔵省は見事な資金配分だったですね。電力債やNTT債などの存在を始め郵便貯金などは、その象徴的な仕組みでした。しかし、ここに罠が潜んでいましたね。一般会計と特別会計の意味を理解していない国民も多いでしょう。学校でもその背景を説明はしていないでしょう。ここに日本の構造問題がありますね。民意を反映しないロボット政治家が、誕生する背景はこの辺りにも起因しています。この背景を解説すると長くなりますからね。何れ話す事もあるでしょう。

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さて余談は兎も角、今日は、株価面では「5」からの「6」までの状況を犬種押して終わりにしたいと思っていますが…どうかな? 前回は1985年のプラザ合意から始まり金融緩和を実施した澄田さん、そうして急ブレーキをかけた三重野さんの話を、前回は中心にしてきました。しかし日銀だけが問題だったわけではありませんね。宮澤さんも同罪なのです。かれは大蔵省でもトップ官僚だったはずですが時代の流れを見誤り、ケインジアンの考え方に固執しましたね。もしマネタリスト的な発想を持っていれば…地価の下落がどのような影響を与えるか、分かっていたはずです。東西冷戦下での大蔵省の計画経済の根幹を造った成功体験の自負が、この「まさかの罠」に嵌った原因でしょう。きっと自分達は何でもコントロールできると自負していたのでしょう。もしそうなら…「4」の下落で「A」の波動調整は終わり日本を救えたのですね。

しかし90年代の「D」ボックスを抜け出す事が出来なかった。この間、自民党政権はケインジアンの立場でしか政策を実行していません。問題の本質を理解していなかったのでしょう。銀行の不良債権処理がなかなか進まずに、破たんに向かう原因を掴んでいなかったとも思われますね。慌てるのが2001年9月11日のテロ以降の時代ですからね。しかし運命は面白いもので、このテロ事件が日本を一旦、救う方向性に働きます。丁度、オバマさんがサンデーの発生によって、大統領に選ばれたように…神様は色んな悪戯をしますね。

90年代は信用組合など小さな金融機関が、次々に破たんしているわけで、金融機能がマヒしている実態の兆候は随所で起こっていたのです。背任横領が切っ掛けとは言え、東京協和信用組合や安全信用組合など1994年に破たんしています。彼等はバブルの先端を引っ張る最前線の軍曹だったのですね。その下士官を無殺しにして…生活大国づくりに乗り出すのです。しかしチャンスはあったのです。株価「4」の時に日銀特融を発動すると言う英断を、世間の目を気する余り、見送ったのですね。そのシナリオは1992年8月に検討されたと言われています。もしその時に、その政策を実行していれば…現在の膨大な財政赤字はなかったのです。宮澤さんは、所詮、官僚に過ぎなかったのでしょう。もし田中角栄が現役だったなら…彼がこの政策を見て、オールドパーを煽りながら時代を嘆きながら死んでいったことでしょう。歴史とは不思議なものですね。田中角栄は昭和40年代の証券不況時に、大蔵大臣として日銀特融を発動して証券界を救いました。

小渕さんからの時代から…ずいぶんと無駄な財政出動をしてきたものですね。2009年の麻生内閣で終えんを迎えますが、90年代後半から2000年代前半に積み上がった赤字は自民党が間違った政策を実行してきた証ですね。この関係は此方の資料から分かります。

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要するに自民党政権は利権集団なのですね。国家のお金を私欲に回すための集金システムでしかなったのです。何の為に田中角栄を検察は立件したのでしょう。その存在意義を完全に忘れていますね。宮澤喜一が失敗し、インフラ整備が確立されている日本の置いては、ケイジアンの財政出動なんか乗数効果が少なく意味がないのに、誤った政策を実行してきたのが自民党なのです。それも永遠に…です。この歴史をよく考えてくださいね。

本来、正しい政策を実行しているなら株価は「4」の水準で止まっていたのです。この下落の元凶を造ったのは三重野さんであり、宮沢さんの失敗なのですね。あの時の日本に、バーナンキが日本にいたなら…、日本の今の失われた時代は存在してなかったのでしょう。

この状況を一旦救うのが、Dの時代にマネタリーベースを増やす政策です。

1999年に一体、何があったのでしょう。この時代の日銀総裁は速水さんですね。ずいぶんと私は彼を批判しました。しかし彼の時代に量的緩和政策が開始されたのですね。その前にITバブルが起こる時代の検証も必要ですね。1999年2月に無担保コールレートを史上最低の0.15%に誘導し、この当時速水さんは「ゼロでも良い」と発言され「ゼロ金利政策」と言う言葉が生まれたと解説されていますね。グラフでは「A」の位置です。そうして実際にマネタリーベースが増えるのは1999年12月ですね。14.2%と二ケタ増えています。「B」の位置ですね。そうして2000年1月には一気に22.8%増です。

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丁度、この頃、年末からソフトバンクが急騰し、大納会にかけてソニーが連続でストップ高して行く時です。僕はこの様相を見て呆れていましたね。当初は強気にソフトバンクを買っていたのですが…あまりの急騰ぶりに売りだと思っていたのです。ソフトバンクが急騰する前の10月頃には、そう考えたのですね。当時の株価は3万円台から4万円前後でしたね。しかし株は恐ろしいもので…、その後、198000円まで急騰するのです。丁度その頃、あるお客様がソフトバンクを持ってこられ…「絶対に死ぬまで売らない」と言っておられたので「そうですか…」と株券を預かったのですね。

でもそのお客様は、翌年、ソフトバンクの株価が下がると僕を批判されていましたね。「何故、売るように言ってくれなかったのか?」…僕はずっと売らないと断言されていたので、セールスの声を掛けなかったのですが…。ただ預かっただけだったのです。その後、その株を元に売り買いをして大きく損をしたのを覚えています。幻の2億円だったかな? いや、もっと少なかったかな? なにしろ、当時のソフトバンクは198000円でしたかね? たった1000株で2億円ですからね。お預かりした株数は、もっと少なく600株程度だったかな? だから1億程度だったのかな? 彼はたしか東大の外科医で優秀な人でしたね。何しろ実績を積むために海外に行って腕を磨いてきたのです。魅力的な人だったけれど…今はどうしたかな?ITバブル全盛期の時代の話ですね。

さて、まだITバブルの時代はゼロ金利政策でマネーサプライが増えていました。金利の上下を誘導するだけで…お金の量がコントロールできる良い時代だったのですね。何故、この政策が実行されたかと言えば、この時期に金融機関が一気におかしくなるのですね。山一證券や長銀が破たんするのが、1997年、1998年ですから…。その為にゼロ金利政策を導入します。ITバブルが起こる背景は、リスクを取る新世代が新しく誕生したのですね。この時代はIT企業の上場により、新世代の金持ちが誕生する時代です。楽天の三木谷氏など代表的な事例ですね。2000年4月上場しITバブルの恩恵を受けるぎりぎりセーフのタンミングでした。この点、彼にはツキがありましたね。このITバブルを受けて2000年8月にゼロ金利政策が解除されます。その様相が「B」~「C」の辺りで分かります。しかし一般産業界向けの政策なら良かったのでしょうが、肝心の当時の金融機関は、まだまだ痛手を受けている最中だったのです。資産デフレは止まらずに地価の下落は続いています。当時、私が速水さんを批判していたのは、此処を見逃した為でしょう。株価より地価の動向は、非常に重要ですね。もともと根が浅い新興成金は、僅かな景気のブレで資産を失います。山一や長銀、日債銀などの破たんなら、何とかなったのでしょうが…。

この見逃しが株価のグラフ「5」に繋がります。マイナスまで減らしたマネタリーベースは景気のさらなる悪化を生み、空洞化も重なり基礎的な構造整理は進みますね。2001年3月にゼロ金利政策の再開から、さらに踏み込み量的緩和政策が実行されます。この背景はITバブルの崩壊をゼロ金利政策の復活では救えなかったのですね。当時のマネタリーベースは低金利でも減り始めます。よって2000年12月にマイナス1.1、翌2001年にマイナス5.6%と大きく落ち込むのを受けて、グラフでは「C」の場面です。3月に量的緩和政策を実行し、5月から徐々に増え始め、9月に14.2%となりますね。それから2002年1月に23.4%と増え、3月には32.6%と大きく増えます。この効果が市場に出て来るのは翌年の2003年5月ですね。グラフでは「D」の場面になります。この量的緩和を受けてバブル以降、初めて地価が反転し出します。ゼロ金利政策の時は、まだ下げ続けていましたが…。量的緩和実施でようやく地価が上がり出すのは2005年から2006年ですね。しかし不幸にも金融危機が起こりますね。折角、正常な景気状態になる寸前で…。この量的緩和政策を2006年4月から、土地が上がるのを見て止めてしまいます。グラフでは「E」の部分になります。おそらくバブルの再来を懸念したのでしょう。そうして海外では金融危機が訪れ金融危機が重なります。

ここで注目されるのが、大きくマネタリーベースを伸ばしているのに、市場が実際に反応するのは、ずっと後なのですね。タイムラグが生じています。2001年9月に二桁のマネタリーベースが伸びているのに…株価は直ぐに反応せずに翌年5月に動き出しているのですね。実に1年と8か月ですね。「流動性の罠」の状態はこの時期に発生したものと思われます。何故なら、最初はゼロ金利を復活させたのですが、マネタリーベースは増えませんでしたね。「B」から「C」の時代です。いくら金利を下げても、貸し出しが増えない異常事態が起こったのですね。金融機関が能力を失った時です。バブル崩壊から10年間の積み重ねで1998年の日債銀などの破たんは、それを意味しています。

強制的にお金を積み増す為に、公開市場操作を通じて、日銀は当座残高を意識的に積み増します。所謂、ベースマネーが増えて行くのがこの時期ですね。グラフでは「D」の場面です。この背景にはITバブルが崩壊した影響が在ると思われます。そうして9.11のテロにより、この行動が更に拡大され第二段エンジンが点火されました。速水総裁を当時私はずいぶん批判していましたが、彼がゼロ金利政策や量的緩和政策を実行したのですね。

しかしこのゼロ金利政策を直ぐに止めるのが問題だったのかな?「C」の場面ですね。ここが重要なのでしょう。2001年9月にマネタリーベースが二桁の伸びを示しているのに…株価の反転は2003年5月ですね。実に1年と8カ月も時間を要していますね。冒頭の薬と体力の話をしましたが…その意味が分かると思いますね。1999年2月にゼロ金利政策を実施するときには、半年程度で反応しており、年末には株価は暴騰します。通常、金融政策が実体経済に影響を与えるのは半年から1年後と言う意味はこの辺りにありますね。

今回の起点は2010年の10月の包括的金融政策ですが、実際にマネタリーベースが伸びているのは2011年3月です。つまり、この2012年11月で、丁度、1年8カ月を迎えるのです。しかし…一度白川さんは2012年3月と4月に僅かですが、ベースマネーを減らしています。丁度、今年の春に株価が上がり始めた時ですね。この影響も考慮せねばなりませんが…。

何故、私が長い期間、マネタリーベースと株価の特集を組んで、金融株の復権を何度も繰り返し述べているか? この辺りを焦点にして、何故、金融株に拘っているのか? この連載を通じて、少し背景はお分かりいただけたでしょうか? エクセルデータを添えて掲載した方が分かりやすいでしょうが…グラフだけの掲載に留めます。日銀の当座残高推移のグラフも掲載しておきます。

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必要なら日銀の検索ホームページに行き、自分で実際に検証するのが良いでしょう。慣れるまで少しこのフォームはすこし戸惑いますが…。この時間的なズレは、日本経済の体力にも影響を受けますし、世界情勢にも影響を受けます。前回の2003年の相場の時は海外のヘッジファンドは上手く機能しました。しかし今はこの勢力は力を欠いていますね。勿論、マネタリーベースと株価の関係は鶏と卵だという認識も同時に抱いています。

しかし現代の金融政策はマネタリストの時代なのですね。何故、古典的なケインズ経済が廃れていき、マーシャルからフリードマンのシカゴ学派が主導してきたか? 全ては未知の実験なのですね。バーナンキが行っている実験が継承され、僕がQE3を支持し、このQE3は必要でないかもしれないとも考えています。しかし、何故、私がこの実験は面白いと言っているか? またイギリスが財政政策より、緊縮財政の道を選択した実験に注目しているのか? 今は「財政の崖」が懸念され、減税や財政支出削減の影響がどうなるか?

みんな、お金の供給量をコントロールする手段の方法に過ぎませんね。「財政の崖」の懸念はある意味で時代遅れのケインジアン的な考え方です。マネタリストは基本的に減税を止めても、お金の量が増えていれば問題ないと考えます。財政支出も同じことですね。要するに最終的にコントロールする目標は、マネタリーベースでありマネーサプライのお金の量を増やし続けることの手段にすぎないのですね。

銀行の自己資本比率規制が、何故、問題なのか? 今はみんなが反省している時代だからですね。好景気の時に、規制をかけるのは良いのです。健全な方向で規制をかけるべきですね。しかし今は、一所懸命になってお金を増やそうとしているのですね。マネタリストは株価や地価をみながら、お金の量をコントロールすることにより、景気が維持されるという市場原理派の考え方ですね。市場の動向を見ながら、政策を実行するのです。日本村社会は理想を追い求め、市場を理解しないで強引に導くやり方ですね。既にグローバル時代で通用しませんね。常に市場を観察しながら、その市場の叫びを聴きながら、政策を実行するのですね。財政政策ではなく、金融政策に重きを置くのはマネタリスト(市場原理派)で、財政政策によりコントロールするのがケインジアン(日本村社会派)のような区分ですね。しかし景気をコントロールするには両者の力が必要です。財政政策もね。しかし財政政策の価値はどの程度なのか…むしろ規制緩和などの方向性を模索するのが大切だと考えます。

何故、私が超強気になっているか? 
それはFRBもECBも日銀もみんな流動性の供給に躍起になっているからですね。白川さんがシカゴ大学で、学んだとは知らなかったのです。この検証を通じて白川さんの評価を高めましたね。しかし同時に、この3月、4月の行動は不可解です。丁度、株価が高くなりETFの購入を止めた時期ですね。かれがこの反省をしていれば良いのですが…。だからまだ早いですが…都心の地価は上がる筈です。だからこの検証を始めるにあたって…不動産株の話まで…と最初に述べたのです。さて僕の仮説が正しいなら、間もなく壮大なスケールの相場が開始されます。予想通り市場は財政の崖の懸念をし始めました。しかしそれはケインジアンなど、時代遅れの考え方なのですね。今はインターネットがあり、各国の中央銀行の動向が瞬時に判る時代なのです。よって、この下落が最大の買い場を迎える筈なのですね。カタルの超強気の背景をマネタリーベースと株価の検証を通じて述べてきました。あとはご自身で判断されることです。今なら配当利回りで、どう考えても理屈に合う株価なのです。