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桜田門外の変(2012年12月09日)
昨日、テレビで「桜田門外の変」が放映されていました。それにしても…面白いものですね。人間の欲望と言うのは…限りがありません。水戸藩士の立場から描いた幕末模様のドラマですが…関鉄之助が舞台の主人公を務めており、その背景を調べてみたくなったのです。彼の存在は明治維新の一翼を担っていた可能性がありますね。何も坂本竜馬など…有名な人間だけが時代を創っていったわけでなく、井伊直弼から安倍正弘などの人間が当時の時代を創り上げる背景の一部に溶け込んでいます。どうしても株式市場の裏に隠された見えない糸を考えて行くと時代の背景を探ることは必要になります。
相場を作るのはいくつかの重要な要素があります。その重回帰分析のなかで複数の説明変数が株価を左右するので、その背景を探る訳ですね。相場を作るのは時代の流れを読むことです。先日、いくつかの今後のパターンが考えられるとしてマネタリーベースの増加の観点から、もっとも影響を受ける金融株の中から、三菱UFJ、みずほ、野村証券を掲げ、自民党の財政政策の公共事業投資から、三井住友建設や大手建設株を選択、更に産業革命に匹敵する情報革命のIT分野からグリーやDENAを選択していました。もし方向性がもっと絞れれば…仮に中央道の崩落事故が事前に分かっており、「予防保全」と言うキーワードがもっとクローズアップされ、残る確率が高いなら三井住友建設だけを選び資金を集中投資すればよかったのですね。
ここで相関関係から効率的なポートフォリオの配分が影響します。皆さんにはシャープ・レシオなどと言う考え方まで理解しておく必要はないでしょうが…カタル投資はリスク・ウェートが高いですからね。気を付けねばなりません。
つまり関鉄之助の立場だけで物事を判断できません。暗殺された側室の子、井伊直弼は父の死後、三の丸尾末町の屋敷に移り、17歳から32歳までの15年間を300俵の捨扶持の部屋住みとして過ごしたのだそうです。ここでのチャカポン(茶・歌・鼓)時代の遊び生活が、その後の出世に影響し大老職まで繋がるのでしょうが、その陰には、勝海舟やジョン万次郎などを登用した阿部正弘の存在が深く関与しているようです。歴史は面白いですね。ジョン万次郎と三菱の創設者、岩崎弥太郎は、この当時から関係を築いているようです。丁度、今の時代のように…インターネットが発達してアラブの春から時代変化は、ペリーの来航の時代背景に良く似ています。
人のつながりが、歴史を築いています。考え方の違いや選択の違いにより、人間関係の相関図が生まれ、思想の違いが仲間関係を築きます。関東連合や山口組などの組織から、桜田門の人脈まで…色んな考え方が交差し、社会構成が創られますね。市場原理主義者に日本村社会論理など…どれが良いという選択肢は決められませんね。関鉄之助は1858年に越前、鳥取、長州に遊説に行っています。そうして実行隊長として1860年3月に井伊直弼を襲撃し暗殺します。その後、2年程度、逃亡生活をして時期を待ちますが、1862年6月に斬首されています。大政の奉還は1867年10月ですね。僅か5年程度の違いですね。
新しい世の中を見る為に奔走し、夢の実現が見られない人生があります。彼らの奔走が薩摩藩を動かしているとも言えますね。意見はそれぞれ違うのでしょうが…単なる恨みなどが桜田門外の変に繋がったわけではないでしょう。時代背景を考えれば、幕府と米国の不平等条約の締結が、大きく影響を与えています。今の世も日米同盟に関わり、地位協定の壁が沖縄県民の心情を大きく揺さぶっており、鳩山さんの退任に繋がりました。歴史の流れ、株式の…相場の流れは、時代背景に大きく影響され、人々の心を動かし相場模様が演じられていきます。