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紅葉と性の喜び(2012年11月11日)

誰もが見れるインターネットの閲覧を、著作権の名のもとにタガをはめる行為は、如何なものでしょう。例えば、日経新聞の転写をしようとするとコピー&ペーストが使えません。つまり、著作権があるから勝手にコピーはするな! この記事には著作権がある。との表明なのでしょうね。それならばインターネット等を利用しないで、公開しなければいいと思います。あくまでインターネットでの公開なら、誰もが自由に使っても良いのではないかと思っています。誰かが、勝手にユーチューブに楽曲を投稿したとします。この場合は悪質なケースに辺り、それを二次利用するのは問題があるでしょうが…。そもそも新聞の記事などに著作権などあるのでしょうかね? 新聞は事実を伝える報道で客観的な事実は公のニュースですね。もしこの論方が通るなら、事件を取材するドラマにも著作権がある筈で、メディアは勝手に報道できないことになりますね。当事者の利用許可が必要になります。自分達は公に報道する義務があるから、勝手に事件を面白おかしく報道しても良いと言う勝手な論理は如何なものでしょう。悪質な取材競争は一般庶民の生活の権利も侵していますね。芸能界はそれを商売にしているから報道しても許されるという論理も拡大解釈になりますね。

ただ事件でなく論文なども新聞に書かれていますが、新聞はインターネットと同じで公器ですからね。やはり一旦発売された以上、みんなが利用しても良いのではないかな? この著作権の話ですが…図書館は購入した本を無料で貸し出していますが、図書館は一回あたりの貸し出しで、いくらか著作権料を作者に払っているのでしょうか? おそらく払っていませんね。何故、図書館は許されるのでしょう。レンタルソフトも同じ範疇ですね。映画などのDVDを二次利用していますね。更に、この著作権には時間の概念がないのでしょうか? 古い作品は無料となっていますが…。発売後1年、2年も経ったCDが当初2000円なら、1年後は1000円、2年後は500円、3年後以降は200円と言う形の時間概念を導入するのが正しい値付けではないでしょうか? 本も一緒ですね。もっと合理的な価格形成が出来ないものなのでしょうか? 

一方、株価はいつも市場価格により上下しています。野菜の価格形成と一緒ですね。基本的に需給バランスで動いていますが…その背景には色んな仕組みが働いています。一般的には業績が良くなると株価が上がりますね。そうしてカタルは、この数週間のテーマとしてマネタリーベースと株価の関係を、推論を交えて解説してきました。この何回かの特集はカタルの考えであって正解ではないかもしれませんし、異論もあるでしょう。市場には様々な意見があって良いと思っています。市場経済においては正解などないのでしょう。常に周りを取り巻く環境は変化し、時代と共に市場参加者も変わり、考え方が変わっていきます。

昔は配当利回りだけで株価を捉えていた時代が長く、時価発行増資もなかったのですね。全て額面発行で、株主割当増資が多かったのですが、日本楽器(ヤマハ)が1968年に最初に時価発行増資を実施し、それから現在の形態が一般化しましたね。現在は制度上の不備も多く増資の手続きに時間が掛かり、その為にシャープのような問題も起こりますね。シャープの増資引き受けが、制度上の問題だったのかどうか…僕にはわかりませんが、その可能性はあります。行政の仕組みは時間の概念がありませんからね。

日本の場合は、野村証券が株式持ち合い活動を推進したと言います。日本村社会構造ですね。つまり株主の権利を形骸化させる行動でした。この為にバブル期は異常なPERの水準にまで株価が上昇し、その価格を説明するためにQレシオなどの概念が導入されましたね。この背景は日本村組織が収益を無視した、総資産経営に向かった、規模の拡大を追い求めた時代の弊害です。その為に邦銀は自己資本比率規制問題で発生しており、日本の失った時代を長引かせる要因にもなっています。少し分かり辛いでしょうか?

日本は高度成長するために、その基礎が必要になったのです。その為に土地を利用したのですね。土地に複数の価値を持たせ…路線価とか、固定資産税評価額とか、基準地価とか、公示価格とか…いろんな価格が存在していました。この背景には実際の取引価格が基準になるのですが、少ない取引の売り手と買い手の相対売買で価格が決まり、そもそも時価評価が難しいと言う問題があります。しかし要する土地担保融資を認めてきた信用創造の仕組みに問題が在ったのですが…この仕組みのおかげで高度成長が出来たことも事実です。
要するに地価を利用した信用創造は妥協の産物ですね。

この信用創造を実現させたのは日銀であり、長く土地担保融資を認めてきました。大蔵省もね。昔は日銀の権限は非常に強かったですね。窓口指導は絶対的な権限を有していました。しかし現在は日銀の権限は、以前ほど強くないですね。その代りに金融庁が台頭しています。本来は大蔵省が関与することが筋違いなのでしょう。金融機関は日銀が管理する事項なのでしょう。ところが日銀は失態を何度も犯したので、大蔵省の力が強くなって行き、今では財務省の傘下になったような印象もあります。独立性なども良く問題にされますね。それはこれまでの実績がないから、仕方がありません。でも日銀だけのせいではありません。

「生活大国づくり」を作成した宮澤政権下では、地価を下げる為にバブルの絶頂期に、その作業に取り掛かっています。今日の日経新聞には、先日、僕がマネタリーベースと株価で解説した時期の模様が、13面に掲載されていますね。僕は金融面に焦点を充て東京協和信用や安全信用組合を掲げましたが、日経新聞では分かりやすく、桃源社が落札した蒲田の土地価格が657億円で、建設費込みで1000億円のビルが、銀行に398億円で自己競落され、その後、最終的に区が173億円で落札した模様が描かれていますね。1000億が173億円ですよ。この下落分の大半を金融機関が負担したのですね。だから膨大な不良債権が発生し、その結果、金融機能が失われ、長い失われた時代の低迷に繋がっています。

しかし、この記事も間違いに気づいていませんね。確かに米国の地価合計を上回る日本の地価創造は間違っていたのですが…その事を修正する時期も問題です。しかも、そもそも信用創造の間違いの存在を、そのまま認めておいてもよかったのです。その間違いを米国から指摘され、その論調を開くと、直ぐにこの信用創造の仕組みを間違いと認め、正論を展開する間違いを、この記事は気付いていませんね。レポートを書いた人は、この意味を理解していますか? 宮澤喜一や尾崎護、小川是などのエリート集団は、米国の戦略に踊ったのですね。

だってお金などは、所詮、紙くずですよ。皆が信じるから、紙くずが価値を有するのですね。その価値を守る為に、財政赤字の問題などが欧州で問題になっています。しかし日本にしか存在しない土地の価格が、米国と比較して割高でも良かったのです。なにも土地の価格が日米で、同じ評価でなくても良いのですね。確かに市場原理主義において、収益還元法によって、その存在価格は論理的な価値に収斂する筈ですが…それを直ぐに改めなくても良いのですよ。今、日本の財政問題が話題にされ、他国と比較してGDP比で問題を問われていますが…確かに正論ですが、直ぐに慌てて修正しなくても良いのですね。お金は充分に回っているのですから…。為替を見れば分かりますね。円を持っているのは、日本人だけですから…米国はこの仕組みを上手く使っていますね。ドルの信用創造を世界に認めさせています。少し難しいかな? 

僕らは何を基準に行動するか? このような問いかけをしているようですね。最後は生きる意味とか、信条のようなアイデンティティーの問題になりますね。

付加価値の最高峰は人々を驚かせる、感動を与えるものですね。絵画であり音楽であり人間が感じる五感を揺さぶる価値が最高の付加価値です。GDPの成長はそれを競うゲームなのですよ。だからハードではなくソフトが無限の価値を秘めているのです。何故、グリーがこの評価なのでしょう。多くの人が時間を費やしていますね。人々を魅了しているから人間は時間を費やすのでしょう。

性もそうですね。これは本能を刺激して商売に結びつけていますが、ラブストリーなどが映画や小説のテーマになるのは、人々を魅了するからですね。セックスはその演出に過ぎませんね。最初は射精する快楽を求め行動しますが…次第に女性に対し多くの付加価値を求めるようになります。夫婦が互いに成長しその変化を楽しむとか…人間的な成長の刺激を求めるのが互いの関係とも言えますね。だから互いに成長してないと、生活に変化が生まれずにパートナーの存在価値が薄れていきます。セックス以上にベットでの会話などは大きな意味を持ちますね。もちろん、男にとって普段、日常見せない仕草を見せるベットでの女性の表情などは魅力的なものです。その変化が日常のそれと比較し深ければ、深いほど欲望を掻き立てられますね。東大を出たバリバリの女性のエリート上司だが…彼女の夜の乱れた姿を想像することが…エロスに繋がります。丁度、紅葉と同じで寒暖差が激しいほど綺麗なのですね。

すこし話はそれてきましたが…小説を書く訳ではないですからね。話を戻しましょう。今日は何をテーマにしたのでしょう。そうです。著作権の話しから株価の話をする為にCAPMモデルまで話を持って行こうと画策したのですが…いつしか路線から外れました。面倒くさいから書き直すのは止めて、いきなり、結論を…飛躍していますが、市場リスクと個別株リスクの産物で株価は決められており、現在は市場が非常に低迷しているために個別株の優位が反映されにくい状況だと認識されています。故にマネタリーベースと株価のレポートを書いたことに繋がっていますね。だって個別株の優位性をいくら説いても、それ以上に市場全体が沈んでいるから、ものさしが歪んでいますからね。

先ほどの話に戻りますよ。日経記者が書いたピーク時の日本の地価がGDPの5倍で、その時にGDPの2倍の米国の国土が4つも買えると言う論理を持ち出し、故に日本の土地が高いから下げなくてはならない。と言う論法を米国が持ち出し日本の政策官僚はもっともだと納得して、その甘言の乗ったのですね。その結果が「失われた時代」ですよ。ところがこの政策の結果、収益還元法などで下げ止まる筈の地価も、配当利回りで下げ止まる筈の株価も、まだ下げ続けているから不思議ですね。市場全体のリスクの影響が強すぎて、個別株の優位性など論じても仕方ないから、2年前に株屋を辞めたのです。しかし最近の研究では、そろそろ、この修正が起こりそうですね。いつまでも無尽蔵の紙くずの信用創造が、実体価値と遊離して広がり続ける訳がありませんね。必ず、大きな修正が起こりますね。肝心のCAPMモデルの話しもせずに…いきなり結論に急ぎましたが、日経新聞さんのこの「経済紙を歩く」と言う正論は、実社会に於いて正しい選択だったのでしょうかね? 物事にはいろんな見方があるのですね