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青べか…(2012年10月07日)
中国の反日感情が増幅し鎮静化するかどうか…瀬戸際にありますが、揺れていた後任の中国大使に木寺昌人内閣官房副長官補が決まったようですね。あまり中国人脈とのパイプはないようですが、首相の側近を採用したことが中国当局の好感を引き出すことに成功しているようです。考えてみると民主党政権の鳩山さんは基地移転問題で汚点を残し、菅さんは原発処理で、野田さんは外交政策で汚点を残しました。意見の割れる人間を引っ張るのは難しいですね。橋下さんも所帯が大きくなれば、これまでのように行かないでしょうね。政権を取るためには、みんなの党などの第3政党を束ねなければなりません。仮に政権を確保できても国会運営で数によっては、大変な目に遭いますね。
カタルは一度、中央指導体制を壊すべきだと思っています。意見対立する以上、地方に権限を大きく与え、仮に豊かな成長する地方が出てくれば、他の地方は同じようにマネをしますからね。地方により解決すべき問題はそれぞれ違います。東京都と北海道では課題は異なる筈です。小さな組織なら、改革のスピードも速まる筈ですね。今の状態は何をするにも中央官僚にお伺いを立てる仕組みで、とてもやりたいことがスムーズに運ぶとは思えません。最近こそ、越年予算も場合によれば認められるようですが…単年度主義では無駄が多すぎます。年度末に増える予算執行などは愚策ですね。今度の会計検査員の指摘でも越年事業に対する無駄使いを指摘されていました。しかし工事が都合により越年されることはありますからね。
創造力を養うためには画一化教育をやめなくてはなりません。欧米に追い付き追い越せでは安い賃金とある程度の教育のある労働者さえあれば良かったのです。だから大学が増えて教育機関の役割を果たさなくなりました。あの4年間はただの遊びの場ですね。おそらく今でもそうでしょう。今、活躍している人を見れば、多くは留学経験者です。つまり中学を卒業したら海外で勉強した方が良いわけですね。日本でイスラム圏へ留学する人は何人ほど居るのでしょうか? 欧米留学はよく聞きますが、文化の異なるイスラムは距離がありますが興味深い対象ですね。言語の支配圏を見れば、明らかに、アラブ語などはある一定の地位を確保しています。英語、中国、スペイン、アラブにロシア、ヒンディー辺りかな…?こう考えるとスペイン国債も買えるかもしれませんね。僕は、イタリアは大丈夫だろうが、スペインは怪しいと早くから考えていましたが違った視点が生じますね。でもフランス語は魅惑的ですね。女性ボーカルのシャンソンは独特の響きがあり、官能を刺激されます。僕だけかな?
僕は子供に充分な教育を与えてあげる精神的なユトリがありませんでした。常に株の事しか考えていなかったからね。娘は転校してきたためか、小学校で「いじめ」に遭い、私立中学・高校へ、しかし勉強が苦手だったようで大学進学に失敗し、仕方なしに誰でも入れる米国の日本校へ行かせました。これが良かったようですね。日本の大学に行っていればアウトですが、米国の大学なので厳しいのです。最初の2年間は英語をマスターすることに充てられ、あとの2年間で授業を受け、いよいよ米国の本校へ行けるのに…田舎だから嫌だと言いはじめ、勉強は嫌いだから働くと言ったのです。そうして勝手に就職先を決めてきましたね。バーバラと言う担任の教授が、学費を親から出してもらっているのはおかしいと諭されたようです。米国人の考え方は日本人と違いますね。しかし下の子は勝手に日本の大学に行き、就職先も決めてきました。まぁ、一応、上場企業だからマズマズなのでしょうが…良かったのかな…もっと何かできなかったのかな?と考えますね。
プロの世界を見ると、多くは3歳から5歳程度で英才教育を開始しています。特にスポーツはそうですね。親として何もしなかった自分の情けなさを痛感していますが、生きる為に一所懸命に取り組んだ姿を見ていたのか…まぁ、二人とも一般的には、まともな大人になったようです。これが僕の救いですね。親父がぐうたらですからね。僕の大学時代はフランス語を選びましたが…まったく英語もあれだけ授業時間があったのに片言しか分からないし…いったい何をしていたのか?アルバイトと博打に費やした時間でしたね。どれもこれも中途半端です。就職が決まり、今では珍しくはありませんが、当時としては珍しい卒業旅行に米国、カナダ・メキシコと40日間ほど行ってきました。旅立つ前に、担任教授から卒論を書き直せと言われ、これが通らないと単位が足りないのです。兎に角、ギリギリしか単位を取っていませんでしたから…。4日間程度、徹夜して書き上げてビール券を付けて、担任教授充てに投函して、成田空港に向かいました。そうして空港で担任に「先生、就職も決まっているし、なんとか卒業させて下さい」と泣きを入れ、旅立ったのです。まぁ、自分はその様なぐうたらなので、子供を評価できる立場ではありませんが…若いうちにもっと苦労すべきだったですね。同年代の孫さんを見れば分かります。彼は高校に行かずに米国に旅立ったのかな?どっちか忘れましたが…小さいころから苛められたのでしょう。だから自由な国、米国に憧れたのかどうか…分かりませんが、自分と比較すると、だいぶ揉まれ方が違うのでしょう。
何故か、教育の話になってきましたが…選挙もそうですが、様々な経験を積まないと自分の視点、人を見る目と言うか…人生観が磨かれませんね。その点、「青べか」を書いた山本周五郎は浦安で過ごしたあの修業時代が、人生観に大きな影響を与えたのでしょう。「青べか」には、様々な人間模様が観察されており、日本村のよき景色が滲み出ていますね。今でも江戸川に掛かる浦安橋の辺りにラブホテルがあるのは、その頃の名残でしょうか?僕は西葛西に住んでいましたから、あの辺は多少の地理的な知識があります。この地区はバブル期に東西線が開通すると、地価が何倍にも跳ね上がり、おそらく日本で一番、バブルに踊った地区でしょう。僕のお客さんだったお医者さんは開業医でしたが、芦野原を買って高額納税者になっていましたね。医者など馬鹿らしくて、やっていられないと言っていました。何しろ何十億円もあっという間に儲かったのですから…その発言の真意は良く分かります。西葛西駅が開業したのが昭和54年です。1979年の話しです。浦安には郷土博物館があるそうで…僕も行った事がないから、一度、行ってみようかな? インターネットで調べたら…このページがありました。皆さんもディズニーランドに行くついでに「青べか」の本を読んでから、観光すると良いですね。
今日も話が二転三転してしまいました。いつもの事ですが…。そろそろ逞しいリーダーが出てきてほしいものですね。橋下さんがその理想に応えられるかどうかわかりませんが…兎に角、頑張って欲しいものです。