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選択って?(2012年04月30日)
選択する自由は誰にでもあります。でもその選択の結果を受け入れねばなりません。日本の社会はまだグローバル化したとは言えません。社会構成は以前の画一化された社会が基本になっており急速に変化しているようです。一例を掲げると派遣法の迷走ですね。空洞化に対処するために派遣やら請負やら…同じことを、言葉を変えて無理やりルール作りをして時代に対応させましたが、派遣難民が問題になりグッドウィルなどは血祭りにあげられました。しかし何故、国家が個人の自由を束縛し正社員が正しい雇用だと言い張るのでしょうか? 同じ仕事をして正社員は優遇され派遣やパートは冷遇されるのです。短期雇用でも正社員並みに扱う公平な社会環境が必要なのでしょう。ハードルが高いから企業の負担が増しますね。もともとのハードルを低くし最低保証を引き下げれば、どこかに見合う均衡点があるのではないでしょうか? 年金生活で20万以上も貰う人に対し税金を多くかけるべきでしょう。
金融界から離れて別の現場を見ると、金融界の異常な規制社会は奇妙に見えます。机の中に小銭が入っていただけで罪に問われたり、明日会う予定があるお客様の僅かな金額の立替金を、自分が負担したりすれば損失補てんとか言われ、重要な罪に問われることになります。例え1円でも…馬鹿らしい基準ですね。電話の会話を録音し不適切な言葉があれば罰則を受けるので勧誘などできませんね。厳格なルールを求める背景は過剰な報道姿勢にあるのでしょう。最近の話題は交通事故かな?
震災の影響から原発のあり方が問われ、多くの人が反対の立場で発言され、原発の平和利用の道を閉ざしています。技術の進展が止まりますね。核分裂から核融合、未来のエネルギー技術と言う視点は消えました。もし…あの時に原発法の解釈を変えて、東電に免責か、限られた過失責任を選択すれば、電力料金は上がらずに、公的資金も必要なく民間の力で再建が出来ましたね。原発の再稼働問題も大きく広がらなかったかもしれません。しかし現実は東電の責任に転嫁しました。国家責任は? 自然災害なので不可抗力なのでは? …などと言う意見は、皆無ですね。メディアの誘導で世論は原発反対に流されています。しかし菅総理の選択の為に、ひょっとすれば、日本は自然エネルギー大国に変貌し太陽電池の研究がさらに進み、世界の技術進歩に貢献できるかもしれませんね。42円は事業者にとって投資チャンスに映るでしょう。
選択の結果、歩む未来は面白いものですね。株を買うと分かります。その会社を自然に応援し良い方しか見ませんね。でも世の中は常に流動的で常に選択を迫られます。小さな選択は今日の食事のメニューです。でもその偏った好みが糖尿病など引き起こすかもしれません。様々な選択肢があり、今日はこの道を右に回って駅に行こうとしたら、交通事故に遭ったりするかもしれません。もしあのまま真っ直ぐ進めば…事故に遭わなかったとか。人との出会いで人生が変わる人もいます。自分の生き方に大きな影響を与える人に出会うこともあるでしょう。選択って…、考えてみると面白いですね。
原発事故が発生したおかげで、日本は自然エネルギー大国への道を歩むかもしれませんね。もし買い取り価格が38円とかになっていたら、投資意欲は失われ開発は進まなかったのでしょう。42円の選択がサプライズで大きな選択なのですね。市場と言うものは政策の選択により相場の流れが創られるものです。太陽電池関連銘柄が再び脚光を浴びるかどうか?