『Wake Up Japan!』(2011年04月10日)
金曜日、土曜日の原稿はボツだな。理由は明白だ。きっと…嬉しいのだが東京電力が上がったから怒りが消えたのだろう。でも震災で報道されてるテレビを見ていると、何故か腹がたってきた。これから書くことは、ご批判を受けるし、僕にもできるかどうか当事者ではないからわからない。肉親を失われた方の絶望感は計り知れないものだろう。しかし…。
何故、あれほど好きな…株の世界を自ら辞めたのだろう?
…理由の一つは毎日電話録音される電話、毎月書かされるコンプライアンスレポート、全てが検査を通るための「おざなりの行動」だ。要するに形があれば、それで良いのだ。検査に対するポーズだよね。あの偽りの行動が我慢できなかったのかもしれない。
今回の原子力事故もきっと同じなんじゃないかな?
西山審議官は昨日初めて自らの非を認め、安全基準を変えると明言した。理由は二度目の地震で各地の原発の電源確保に不安を覚えたからだろう。素晴らしい。日本人は当たり前の学習効果を生かさなくてはならない。いつまでも後ろ向きに振り返ってばかりでは前進がない。ここが間違っていたから改善しまた挑戦します。この時期だから、決して言えないが「もう一度、エネルギー政策を考えましたが、やはり原子力発電を推進させてください。」と言えば…僕には完璧だった。でも決して、思っていても今は言えないのだろう。でもこの真実を言える勇気がないから、いつまでも失われた時代が続くのではないだろうか?
鹿野農林産業大臣が飯館村を訪問され農家から詰め寄られていた。稲の作付けができるのかどうか? 何故か…大臣が補償させてもらうと言っていた。そう言わなければならない場の空気なのだろう。NHKで使われている地図からでは分からないが…グーグルの地図からは標高は分からないが、福島原発は山に囲まれている地理条件にある。良い場所だ。事故を想定して万が一を考慮され選定されたのだろう。本来、相馬市が北の位置し、南相馬市が発展したところを見れば、明らかに原発が貢献したのかな…と推測もされる。きっと恩恵があったのだろう。僕は柏崎に住んでいたことがあり、たしか市民ホールは東電の資金で建てられたと思う。きっと刈羽村は財政が豊かで、様々な施設が無料で利用できるだろう。福島に行ったことはないが同じ構図だろう。地理的に見れば、おそらく、ごくわずかな人口の村がクローズアップされている。
さて、いよいよ怒られるかな?
口をそろえて皆が述べることは補償の事だ。そうして政府の対応が悪いような口ぶり、仮設住宅は2年間が原則だとか…被災者の漠然とした気持ちもよく分かるが、2年でも不満らしい。赤プリの避難民の人は3か月の期限付きの入居だとか…。そうして朝食と昼食・夕食の実費負担を300~500円を求めたら、意外にも応募が少なく無料にしたらしい。当然、避難場所なのだから、高級ホテルでも無料開放なのだが…。僅かな自己負担もないと言う。僕ら国民はいつから他人任せの生活をするようになったのだろう? 今回の映像とそっくり重なるのが、戦後の焼け野原の東京大空襲の光景だが…違うことは生きる力が違うように感じたのは僕だけかな?
戦争直後は何もないところから、バラックを建てて生活していた。助けてくれる人が居ないから当然だが…今はどうか? みんなただ寝ているだけ…こう言ったら語弊があるかもしれないが、無力感が漂っているように感じた。年齢から言って当然かもしれない。漁業も農業も生活権が奪われたのだから、当然、補償を求めたいが…。何故、あの光景に僕は違和感を覚えるのだろう? 何故か、補償を求めている姿がいやらしく感じるのは僕だけだろうか? 長年、株屋をやっていてお奨めした株が損をしたことが多かったが…お客様の態度はマチマチだった。よくこれだけ損をしても…と思うお客様が僕には多かった。周りの証券マンは、「よくお客様が文句を言わないね。」と言っていた。僕が辞める際も、回答書をもらえないかと思ったが、皆さんが回答書を返送してくれた。故に、当たり前だけれど…皆さんは自己責任原則を守ってくれたのだけれど…。おそらく心情的には「あいつ…は」と思われたと思う。悔しいけれど…どうしようもできない現実がある。
みんな耐えて挑戦しなくちゃならない。敵前逃亡した僕が言うのも変だけれど、やはり国に頼ることはやめるべきだろう。何故、役人が監視を強めるのだろう?それは僕らが不理屈な要望を役人に求めるからだろう。社会保障費をもっとよこせ、でも税金が増えるのは嫌だ。仕方なく役人は国債を発行し後世に残すことになる。多くの役人がダニ虫のように餌に食らいつく。今回も唖然とした。僕は経済産業省の原子力安全・保安院だけかと思ったが…内閣府に推進派と安全基準を求める派閥と二つの組織があり、大勢の人が働いていると言う。必要な組織なのかな?ただお金をもらっている組織のような気がしてくる。ではなぜ、そのように組織が分かれたのだろう。きっと背景にはそれぞれの思惑があり、自分たちの利益の為に応援した組織が存在するのだろう。
何故、日本はこのように肥大化するのだろうか?
理由は政策が折衷案で決まるからだろう。そこには妥協がある。理論ではなく妥協なのだ。本来、最も効率的な政策が実行されるはずだが…人権団体などの活動家が弱者を保護する。…と言っては、聞こえはいいが、多額の工事費を費やした成田では、最後まで反対していた農家により効率化が失われ大衆の利益が犠牲にされた、あの例を見れば分かるが、村根性はそろそろ震災を切っ掛けにしてやめるべきだろう。
何故、僕は南相馬市の市長に腹が立つのか?
NHKで僕らには国から情報も入らない。「つんぼ桟敷に置かれている。」と述べていた。(こう書くと、また差別用語だと文句を言われるかな? でもこの方が意味は伝わり易いよね。)
世の中には多くの矛盾があり、自分で整合性を求めて行動しなくてはならない。与えられるものではなく自分から求めるもの。特に地位のある人間が右往左往する姿は適切ではない。自分が正しいと思うことをやればいいのだ。先ずは作付けをすべきだろう。売れなくても良いじゃないか、普段通りの生活をすれば…結果は後でわかる。駄目だと思う人は、飯館村を出て東京で働き口を探せばいい。今なら格安の公営住宅に優先的に入居できる。東京で介護の仕事を探せば、多くの人は正社員になれるだろう。ただし給料は安い、しかし都営住宅ならギリギリ生活はできるだろう。文句を言って補償を待つ条件闘争をするか、自立した生計を自ら求めるか? それぞれの選択の筈。
僕には何故か、戦後のバラックに住む日本人と、避難所に動物園のように寝ている人間と、本当に同じ日本人かな?と見えるのだけれど…。間もなく震災から1か月が経過しようとしている。そろそろ自立を模索する段階だろう。自主避難勧告に政府批判が集中しているが当たり前だろう。当然、後で補償問題が浮上するからだ。文句を言う人は補償が欲しいのかな? 人間は与えられた条件下で生きなくてはならない。そろそろ役人様にお願いするのはやめようよ。どんどん社会構成が歪んでいく。不合理なことは世の中にたくさんある。
10日目に救助された阿部さんのお祖母ちゃんと孫の映像を見て…神の悪戯と…中には亡くなった肉親を思い嘆いた人もいるだろう。何日も漂流していて奇跡的に飼い主と巡り合った雌犬のバンは、なんと幸運なのだろう。神様は不合理だね。でもみんな現実だ。不合理な、不理屈な現実に、立ち向かい生きていかなくてはならないのだろう。悔しいけれど…これが現実なのだろう。
『Wake Up Japan!』