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コラム

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市場原理は何処へ…(2007年03月21日)

産業再生機構とは一体なんだったのでしょうか?
僕にはこの組織の存在はどうして必要だったのか?サッパリ分からないのです。2003年の金融危機の時に組織され、民間銀行の調整役として登場したのが産業再生機構、この存在によって多くの利害関係が調整され大企業が健全に再生され、税金投入の負担なく国民にも迷惑をかけなかった。と一般的には理解されているでしょうが、本当にそうなのでしょうか?

日経ビジネスにカネボウの特集が載っていますが、再生ではなく国家権力を背景にするグリーンメラーと言う印象を持ちますね。結局、カネボウにしてもダイエーにしても民間企業に渡したわけで…本来あった会社の資産的な価値を産業再生機構が搾取したと考えるのは私だけでしょうか? 私はダイエーに取り組み、そう思うのです。丸紅は食品卸としての主導権を握りたいためにダイエーに名乗りをあげ、当初ライバルだったイオンの参加を仰いだのです。民間で再生出来たものを、無理やり自分達の利益のためにダイエーを案件として取ったのです。

まぁ、結果論だけ見ればなんとでも言えますが…
当事者は当事者なりの苦労があるのでしょう。ホリエモンに対する判決が下されました。懲役刑で執行猶予が付かなかったですね。金額的な問題では小さく、過去の事例からするとおかしいと言う判決内容だとする意見もありますが、社会的な影響度合いから見て妥当だと考える人も居るようです。

一見、全く違う話ですが、この二つの事例は共通している概念のような気がします。知り合いのキャリア官僚に「何故、官僚になったのですか?」質問したことがあります。彼は国家を創る事に誇りと自信を持っていましたね。多くのキャリアを見ていると自分達の考えが正しくて、自分達の仕組みを取り入れていれば国民は幸せになる。そんな印象を持ったのです。

しかし「失われた時代」は全てが逆回転、未だにその影を引きずっています。大手銀行は官僚達の政策責任を代わりに取り弱体化しました。すべての大手銀行があれだけの被害にあい、公的資金の注入まで追い詰められた事実の検証を、日本はしないのでしょうか? これだけ大切な事象を検証しないで、うやむやにして良いのでしょうか? 当事者が亡くなる前に政策責任を検証する義務があるのではないかと思います。

だから、おかしな自重が生まれるのでしょうね。この意味をあからさまに書くと、また批判を受けるかな? 自分たちは許されて、若者が挑戦すると目の敵になって叩き潰す社会構造、妬みの社会構造はどこか歪んでいますよ。不正は許せないが、大らかな目で見つめてあげる事が、何故、出来ないのでしょうかね? 頑張るやつが損をする社会なんて…おかしな制度ですよ。だから正面から取り組まず、影で悪さをすれば良いという変な風習が生まれるんですね。松岡大臣の経費の計上は歪んでいますね。公明正大に、私はこういう費用を使ったと言えない社会構造こそが問題なのでしょうね。良いじゃないですか、優秀な事務次官が10億でも30億円でも収入を得ても…それにより国家の100兆円単位の借金が消えるなら…安いね。100億円の給料を渡せば良いですよ。

天下り禁止令? 馬鹿らしい、天下りをしなくては豊かになれない仕組みこそが問題なのでしょう。なにか、どの問題も…論点の視点が間違っていると感じるのは僕だけでしょうか? 株式市場も同じ…市場には市場経済の役目があり、豊かな市場が成立しないと公正な資金配分が出来ません。市場は資金調達の場なのですね。資金にいらなくなった大企業は自社株買いをしてご恩を市場に返し、新興企業はその恩恵を受ける。そんな市場は理想的な場だと思うけれど…。社会構造と同じで、なかなか理想は遠い気がします。悲しい現実かな?