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コラム

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マスコミとは何か?(2005年03月21日)

c20050321a.gif今日の日経新聞朝刊の田勢康弘氏の「一利用者、銀行にもの申す」を読んで、もっともだなぁ~。と感じた次第です。銀行の体質と言うのは、あれほど苦境を乗り越えてきたのに…なかなか変化しないなと、私自身思っています。しかし考えて欲しいのです。その影で主導権を握っているのは金融庁です。

金融界で画期的な新しい事を始めようとしたら、一体どれくらいの精力をつぎ込まなくてはならないのでしょう。それに引き換え、金融庁のやり方がおかしいと声を上げる経営者が何人居るのでしょう?仮に金融庁の査定がおかしいと異議を唱えたら、刑事告発され処罰される運命になっている。些細な事ばかり取り上げて、何か本質の改善を欠いている。これが金融行政なのだろうと考えています。

昨日書いた整理回収機構のお世話になった金融機関は全て行政の指導下にあったのです。先ず、その監督責任を問うのが筋でしょう。行政責任は曖昧になり、権力だけが残される。当然、権力を安易に行使する体質が生まれるのではないでしょうか?

全てが繋がっているように感じるのです。行政の姿勢もマスコミの報道姿勢も…マスコミは自分達の取材にどれくらい自負心を抱いているのでしょうか?その報道に責任を感じているのでしょうか?
表面上の取材ばかりで…人間が感情を爆発させる時には、それまでの蓄積があるのが普通です。切っ掛けは些細な事でも、それまでの積み重ねが犯罪の引き金を引いているものです。犯罪が起こる過程が問題なのです。何故、その犯罪が発生したのか?その発生過程には様々な蓄積された理由があるのが普通でしょう。発作的に、衝動的に、犯罪に及ぶのはごく僅かなはずです。

株価の動きもそうなのです。ある日、突然、動き出したように感じる人がいるでしょうが違うのですね。会社の業績は株価が動くようには変わりません。長い時間をかけて動いていくものなのです。だから株価の方向性はある程度保守的なものなのです。ところが、材料だけで突発的に動いた株に乗る危険を、ネット・トレードする人は、あまり考えないようです。僕にとって、目先ばかり追うネット・トレイダーとマスコミは同じ次元の行動に映るのです。

日本経済の政策責任を問う報道を見たことがありません。何故、GDPが長期に渡って低迷したままなのか?何処に問題があるのか?単に少子高齢化の為で改良の余地はないのだろうか?硬直化した予算編成への疑問は生まれないのだろうか?朝日新聞には役人の無駄使いが載っていました。何故、そうなったのでしょう?基本給が少ないのではないだろうか?もっと合理的な判断をすれば良いのです。

キャッシュレス社会にすれば公平ですね。脱税のしようがないのです。政治家の旨みも、当然、消えるでしょう。そうなれば、なり手がなくなります。政治家を減らせば良いのです。小さな政府を実現するには先ず率先垂範でしょう。株式投資も、何故、失敗したのか?損をした人は考えた事があるでしょうか?誰にでも失敗はあります。あって当然です。しかし、その失敗を糧にする人と、同じ失敗を繰り返す人と生涯の時間の使い方はどうなのでしょう?

失敗は誰にでもあります。私など何時も感じています。体制転換に欠かせない事は世論の誘導です。世論を創りあげるのはマスコミの報道姿勢です。世の中には色んな考え方があります。しかし基準は、どうしたら、後世の世代に豊かさを伝えられるか?ではないかと考えています。豊かさ?って、なんでしょうね。価値観はそれぞれ違うし…やりたいと願う事が成し遂げられる社会かな?

取りとめない考えが走馬灯の如く流れていく。この年になって色んな悩みがある。きっとホリエモンも多くの悩みを抱えているのだろう。市場経済が本物になれば、豊かな社会に向けた資金の流れが生まれます。表面上の報道と目先の利益。権力の乱用と安易な報道。公僕の精神を欠いた行動と市場主義の意義を忘れた投資姿勢。僕らは豊かな心を持ち続けたい。